2015年9月9日水曜日

漱石「それから」の連載が終わって

2015年9月7日、朝日新聞朝刊の夏目漱石「それから」の再連載が、第百十回で
終わりました。

この連載を読み終えて話の筋を振り返ってみると、果たしてこの小説で漱石は
一体何を描きたかったのか、という問いに思い至ります。

話の大筋はある意味シンプルです。しかし、細部の説明は意図的にか、随分
一面的、あるいは微妙にぼかされているので、多様な解釈が可能なように
感じられます。

例えば、代助が様々の困難を乗り越え、三千代との愛を貫く恋愛小説か?
あるいは、モラトリアム人間の彼が愛によって人生の意味に目覚める
教養小説か?体制順応的な一人の男が社会の秩序に反逆する社会派小説
か?代助と平岡の男の友情と背信を通して、人生の不条理をあぶり出す
辛口の物語か?などです。

物語の中にそれぞれの要素が含まれ、それだけ全体のふくらみ、奥深さを
生み出しているのでしょう。

最終回も考えてみれば、不思議な終わり方です。果たして代助と三千代の
愛は本当に成就するのか?平岡は彼女を手放さないかも知れませんし、
平岡の下で病気のために亡くなるかもしれません。あるいは、よしんば
二人が無事結ばれることが出来ても、実社会の生活に疎い代助が、病弱な
三千代を抱えて生活して行くことには、並々ならぬ困難が伴います。それにも
もかかわらず、物語は代助の混乱の極致で終わります。

解釈においても、結末においても、謎だらけの小説ですが、それでも最後には
腑に落ちないとはいえ、何とも言いようのない解放感がある。言い知れぬ余韻を
残す作品であると、感じました。

0 件のコメント:

コメントを投稿