2015年9月7日月曜日

京都市美術館「ルーブル美術館展 日常を描くー風俗画にみるヨーロッパ絵画の神髄」を観て

ルーブル美術館の膨大なコレクションの中から、特に風俗画に焦点を当てて
企画された展覧会です。本展のように風俗画という限定されたジャンルを
前面に打ち出す展覧会を目にすると、西洋美術における絵画ジャンルの
意味について、改めて考えさせられます。

さて、本展のプロローグⅡ「絵画のジャンル」のパートで分かりやすく展示、
説明がされているように、西洋絵画には従来から宗教画、歴史画、肖像画、
風景画、静物画、風俗画のジャンル別けがあり、一般に風俗画、静物画は、
他のジャンルより低い評価しか与えられて来なかったといいます。

それ故絵画の正統の歴史においては、亜流ということになるのでしょうが、
風俗画が画家たちにとって、肩ひじ張って描かなければならないジャンル
ではなかっただけに、かえって日々の人間の営みを生き生きと描き出した、
あるいは、その時代の風俗を有りのままに伝える、魅力的な作品も多く
見受けられるように感じます。

また16~18世紀ごろの風俗画は、描かれた図像によって観る者に教訓を
与え、また画中の事物が何かの象徴的存在として描きこまれている場合も
多いので、その謎解きも隠された楽しみの一つです。

さて印象に残った個々の作品について触れると、まずクエンティン・マセイス
「両替商とその妻」、風俗画として比較的初期の作品であり、ルネサンスの
香りを放つ理知的な表現法の目立つ絵ですが、金を数える両替商の男と
聖書を手にした妻の間に流れる一途な雰囲気が、画家が意図したに違い
ない教訓を越えて、一種祈りに通ずる敬虔さを醸し出しているところに強く
打たれました。

そしてヨハネス・フェルメール「天文学者」、周知のように「物理学者」と
一対の作品ですが、よく言われるように、同一人物をモデルにしている点に
おいて、特定の人間の肖像画ではなく、天文学者とはいかなる種類の
人間かを描いた作品だろうということです。

画中にその人物の職業を暗示する品物を配置し、いかにもそれらしい
人物がそれらしいポーズを取る。しかしその成りきりの絵は、永遠の時間を
一点に凝縮して限りなく美しく、しかもこの世の真理を描き出すことにも
成功しているように感じられます。思わず見入ってしまう名画です。

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