2015年9月25日金曜日

京都国立近代美術館「北大路魯山人の美 和食の天才展」を観て

和食がユネスコの無形文化遺産に登録されたことを記念して、催された展覧会
で、書や篆刻、料理、陶芸と多彩な才能を発揮し、ついには自らの理想の
料理を提供するために、「美食倶楽部」「星岡茶寮」を開いた伝説の美食家、
北大路魯山人の展覧会です。

本展では、主に魯山人が「料理の着物」として重視した器を中心に展示し、彼の
美意識を養った先人の作から、彼自身が制作した作品へと辿ることによって、
彼のもてなしの精神、料理哲学を明示し、また京都の著名な料亭を
日本人写真家が独自の視点で捉えた写真、映像を展示の所々に配することに
よって、普遍的な和食の魅力を明らかにしようとするものです。

料亭で和食を食べるということは、非日常の場で特別の御馳走を食べることに
よって、心を楽しませることです。しかし、その瞬間にいかに満足を得ても、
料理を供される者は受け身の立場にあるだけに、それは一時の快感として
受け流され勝ちです。

ですが本展のように、料理をプロデュースする立場の人間の考え方、視点に
触れる時、料理は新たな相貌を持って私たちに語り掛けて来るように感じられ
ます。いやそれどころか、今私たちが料亭に行くという行為から想起する
イメージ自体、魯山人によって生み出されたかも知れないと思わせるのです。

彼は料理を、客を満足させるための総合芸術であると考えていたに違い
ありません。相応しく設えた場で、相応しい時節に、相応しい食材を用いた
料理を、相応しい器に盛りつけて提供する。それが魯山人のもてなしの精神で
あり、料理の哲学であったのではないでしょうか?

彼の器はそのポリシーから発想され、それゆえに美しく、観る者を惹きつけます。
一つの統一された目的のために制作された器たちは、様々な技法が用いられ、
時には用途に合った斬新な形が試されているにも係わらず、何か奥底で
共通したリズムを奏でているようにさえ感じられました。

観終えた後心地よい余韻が残ったのは、そのためではないでしょうか?また
日本の工芸美術というものが、本来鑑賞のために鑑賞するものではなく、
あるいは場を演出し、それを用いることによってより魅力を発するものである
ことにも、新たに気付かされた気がしました。


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