2019年12月14日土曜日

片岡義男著「珈琲が呼ぶ」を読んで

私は、彼の小説を読んだことがありませんが、片岡義男といえば一昔前、アメリカ
文化を一般読者に伝授して、絶大な人気を誇る作家でした。だから、私の中にも
そういうイメージが定着していて、本書を目にした時即座に、片岡と珈琲の取り合
わせの妙を感じて、早速この本を手に取りました。

読み進めて行くと、彼自身の人生とコーヒーの関わり、アメリカの映画、音楽の中
に出て来るコーヒーのことなど、コーヒーを巡って取り扱われるテーマは多岐に渡
りますが、一般にコーヒーが個人の日常の嗜好品であると同時に、喫茶店など人
と人が会話を交わす場でその媒介をなす存在でもあるだけに、単なる飲料という
位置づけを越えて、一種特別な価値を持つものであることが見えて来ます。

またコーヒーが大人の飲み物であると共に、特に我が国では一昔前までは、舶来
の飲料として非日常のイメージをまとっていただけに、その時代を共有する私たち
ある年齢以上の者には、少し気取った、お洒落な存在という固定観念も残ってい
ます。そういう部分でも、我々にとってアメリカ文化の体現者である片岡のコーヒー
ライフは、私たちを郷愁に誘うのではないか、と感じました。

登場するエピソードの中で私の印象に残ったのは、まず「去年の夏にもお見かけ
したわね」で、京都寺町姉小路下るに今も営業するスマート珈琲を、幼い日の片岡
が母と訪れて初めてコーヒーを飲んだ思い出から語り起して、同じ珈琲店で同じ
時代に、撮影のために母親と京都に来た十代の美空ひばりが、しばしばホットケー
キを食べていた事実からイメージを膨らませて、在りし日の自身とひばりの邂逅を
夢想するシーンで、私が慣れ親しんだ地で展開されるコーヒーを巡る甘酸っぱい
幻想に、郷愁を掻き立てられました。

その他にも、小説家として出発する若き日の片岡が、東京の喫茶店で原稿を書き、
編集者と待ち合わせをし、仕事仲間と語り合う様々なエピソードは、コーヒーを介し
て彼の仕事が進展して行った様子を垣間見せてくれます。コーヒーを通して、作家
片岡義男の創作の核といっていいものの一部が浮かび上がるようで、大変興味深
い読み物でした。

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