2019年12月23日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1663を読んで

2019年12月8日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1663では
科学哲学者・戸田山和久の『哲学入門』から、次のことばが取り上げられています。

   人生に意味があるのか、という問いは人生の
   外部から発せられるという点で子どもっぽい

確かに私たちが、一体自分の人生に意味があるのか、という問いを自分自身に
向けて発するのは、往々に自分を突き放して、やけ気味に自問している場合が
多いと感じます。

でも自分では客観的なつもりでも、そういう時は直面する問題に囚われ、気分に
左右されている場合がほとんどなので、後ろ向きな答えしか得られないことが、
大半です。

その結果ますます自信を失い、落ち込み、ふさぎ込んでしまうのが関の山です。

だから私は、そんな無意味な問いを、出来るだけ自分に向かって発さないように
しようと、心掛けているつもりですが、悲しいかな、物事がうまくいかなくて悲観
した時などには、ついつい問いかけてしまって、暗い気分に陥ることになります。

その私なりの処方箋としては、その日その日の目先の問題に、出来るだけ意識を
集中して、一日のやらなければならないことを完結するように心がけ、その一日
の繰り返しの中に一か月があり、一年があり、十年があることを、積み重ねて
行ければ、自ずと人生の意味も見いだせるのではないかと、考えています。

しかし現実は、その日一日のことだけに集中している訳にはいかず、長期の
ビジョンや計画が必要であったり、見通しの立たない問題への決断が必要な場合
もあるので、結局そちらにも頭を煩わせて、その日の充実感や達成感が得られない
ことが日常茶飯です。

つくずく、心の迷いが多いと、呆れてしまいます。



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