2019年12月6日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1643を読んで

2019年11月18日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1643では
翻訳家・都甲幸治の『今を生きる人のための世界文学案内』から、次のことばが取り
上げられています。

   自分で気づいているかどうかにかかわらず、
   人のやることはどれも命懸けなんだ

人生このように悟ことが出来れば、吹っ切れるのかも知れません。

確かに、こんなことをしていて意味があるのか?一体自分に生きる価値があるのか?
と考え込んでてしまうから、自己嫌悪に陥ったり、自信を無くして落ち込んだりするの
でしょう。

でもちょっと視点をずらして考えてみれば、どんな状態でも生きている限り、生理的に
も寿命を削り、身を削りながら命をつないでいる、ということなのでしょう。

だからどんな状況でも、堂々と必死に生きたらいいという論理も、成り立つような気が
します。

しかし私としては、そこに極力人に迷惑を掛けないようにする、という前提条件を付け
たいと思います。

勿論、生きているだけで、何らかの迷惑を他人に及ぼしているのですから、人に全く
迷惑を掛けないなんて、不可能なことです。むしろ少々の迷惑を掛け合って、人間関係
が醸成されて行く場合もあるのかも知れません。

でも自分の命懸けと他人に犠牲を強いることは別問題ですから、そこのところは分けて
身を処したいと、私は思っています。

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