2018年1月8日月曜日

松山大耕「現代のことば 宗教と科学」を読んで

2017年12月25日付け京都新聞夕刊「現代のことば」では、妙心寺退蔵院副住職
松山大耕師が「宗教と科学」と題して、ips細胞を例に、科学技術に対して宗教が
倫理性とという観点から関わっていくことの重要さについて、語っています。

宗教家が最新の科学について見識を持ち、社会に安心を与えるという意味で
提言をすることも有意義であると思いますが、私はこの論を読んで、科学と倫理
の関係という点に問題意識を持ちました。

過去にも、社会に大きな影響を与える最新の科学技術が、有用性ばかりが喧伝
されて開発が進められ、その結果甚大な被害をもたらす事態が発生しています。

原子爆弾の開発にしても、その爆弾の投下によって戦争が速やかに終息すると
いう名目で研究が進められ、その結果が広島と長崎の未曾有の悲惨な事態で、
また一度開発されてしまった核爆弾は、現代の国際社会でもその削減、廃絶に
多くの良識ある人々が頭を悩ませるという状況です。

原子力発電も、原子力の平和利用とクリーンエネルギーの供給としてもてはやされ
ながら、我が国でも先の東日本大震災の福島第一原発での大事故によって、その
危険性が白日の下になりました。

現在のips細胞やゲノム編集などの生命科学の最新の技術も、マスメディアでは
その有用性が盛んに取り上げられて、その情報に触れる私たちも、その多くが
問題意識を持つことなしに受け入れていると言えます。

生命科学のこれらの新技術も、一つ間違えれば重大な事態が発生することを
我々も重く受け止め、生命倫理という観点から、その歯止めの基準の必要性にも
目を向ける冷静さや賢明さも、求められているのでしょう。

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