2017年2月4日土曜日

漱石「吾輩は猫である」における、寒月の心意気

2017年2月2日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載191には
いたずらで金田の令嬢に艶書を送りつけたことを後悔して、担当教師の苦沙弥に
相談に訪れた中学生を弁護するために、寒月が語る次の記述があります。

「 「そうなさい。もっと大きな、もっと分別のある大僧どもがそれどころじゃない、
わるいたずらをして知らん面をしていますよ。あんな子を退校させる位なら、そんな
奴らを片っ端から放逐でもしなくっちゃ不公平でさあ」」

この「吾輩は猫である」連載を読み続けて来て、私が最もカタルシスを感じた場面
です。

他愛のないいたずらをやってしまって、退学処分という重大な結果を招くのでは
ないかと怯える、青臭い中学生。それを、苦沙弥先生は、日頃、金田が糸を引く
近所の学生たちの嫌がらせに悩まされていることもあり、また相談に来た生徒の
授業態度が芳しくないことも重なり、さらには持って生まれた頑固さや料簡の狭さも
輪を掛けて、窮状の生徒にわれ関せずを決め込もうとする。

そこで当の金田の令嬢との結婚の噂もある寒月が、筋を立ててこの可哀想な
中学生をかばうための言葉を発するのです。それは何か超然として、巨悪に目を
つむりながら、ささいな過失に目くじらを立てる世間の暗愚を告発しているようでも
あり、社会の堅苦しさ、余裕の無さをいさめているようでもあります。

この場面には漱石の正義感や、近代の日本社会の余裕の無さ、一面的な価値観の
横行への危惧が凝縮されているように、私は感じました。

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