2017年2月2日木曜日

京都国立近代美術館「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」を観て

私が本展に興味を持ったのは、一番には伝統の継承という部分においてです。周知の
ように、作陶の名家で千家十職に数えられる樂家は、初代長次郎が千利休の好みを
体現する樂茶碗を創造し、以降十五代に及ぶ現代に至るまで、秘伝や奥義を代を継ぐ
一人の子に伝えるいわゆる一子相伝によって、樂焼の伝統を継承しています。

思い起こすと私がまだ若い頃、取り引き銀行の青年部会の企画で樂美術館を訪れた
時、見学後何代か前の当主が創作した実際の樂茶碗でお茶を振舞って頂き、当代
自らが樂焼について解説して下さったことが、印象に残っています。その言動は初代
からの伝統を受け継ぐ重責を感じさせ、末代までのことをもおもんばかる、遥かな
温かい眼差しに満ちていました。

その記憶からも、樂歴代の茶碗が一堂に展観される本展で、樂家のひいては伝統を
継承するということの、普遍的なエッセンスといったものを感じ取ることが出来ないかと
思ったのです。

まず最初のコーナーには創始者長次郎の茶碗が、400年以上も前の桃山時代に創作
された茶碗を一度にこれだけ多数目にする機会には、滅多に恵まれないという程に
展示されていますが、彼の茶碗は茶道の大成者利休の精神に初めて形を与えたと
いう意味において革新的であり、創造的であったのでしょう。

じっと観ているとその茶碗は、枯れてはいますが滑らかで古びず、軽やかではあります
がどっしりとした存在感があり、中をのぞき込むと無限の広がりがあるようでいて、掌で
包み込みたくなるようなちょんもりとした形と大きさをしています。作為と無作為の間に
均衡を保って存在する茶碗と、私には感じられました。この屹立する造形を旗印として、
以降の諸代は自らの茶碗を作り出して行くことになります。

その苦心を推し量るヒントを得るために、私は展示されている三代道入と本阿弥光悦の
茶碗を比較してみました。道入は長次郎を継ぐ者として斬新さやモダンさを求めたそう
ですが、その茶碗は光彩を放つといえども、長次郎を踏み外さない。対して、琳派の
創始者といわれる光悦の茶碗は、同じく樂焼でありながら自由さ、奔放さに溢れている。
家の伝統を受け継ぐ者の、家風を守ることと、新たな創造を折り合わせることの難しさ。
またその重責の中には、以降の代のことまで目配りする周到さも含まれていることを、
感じさせられました。

さらに当代の茶碗の約束事を踏み超えるような前衛的な作品は、現代という時代に、
茶道はいかにその命脈を保って行くかという問題までも視野に入れて、創作されている
ことを感じさせられました。

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