2017年2月24日金曜日

漱石「吾輩は猫である」における、寒月のヴァイオリン購入譚に対する迷亭の警句

2017年2月22日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載202には
なかなか先に進まない寒月のヴァイオリン購入に至るまでの話に、迷亭が例の如く
茶々を入れる、次の記述があります。

「「人が認めない事をすれば、どんないい事をしても罪人さ、だから世の中に罪人
ほどあてにならないものはない。耶蘇もあんな世に生まれれば罪人さ。好男子
寒月君もそんな所でヴァイオリンを買えば罪人さ」」

「吾輩は猫である」の作中の会話には、ひょんなところに、何気ないようで深い含みが
あると感じさせる箇所があります。この迷亭の言いぐさなんて、丁度それに当てはまる
のではないでしょうか?

ここでは善悪の判断基準というものが、社会体制や状況によって変わることを述べて
いますが、例えに耶蘇を取り上げるなんて絶妙です。

周知のように我が国では、キリスト教信仰及び布教は、長い間厳しく禁じられていま
した。日本人キリスト教徒や外国人神父に、激しい迫害が加えられたことは、歴史が
物語っています。

その中で、この国に特徴的なキリスト教徒弾圧方法は、日本人信徒を棄教させるのは
言うに及ばず、彼らを拷問することによって、外国人の布教者の信仰を捨てさせる
ことであった、と聞きます。当時の我が国の封建社会ではそれ程までに、為政者が
被支配の庶民を同一の価値観や思考方法で縛り付けようとしたのでしょう。

文明開化の明治時代に入っても、日本で漸くキリスト教の信仰が許されたのは、
諸外国の抗議を受けてからだそうです。

迷亭先生の上述の警句は、その日本人の閉鎖性を踏まえた言葉ではないでしょうか?

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