2017年2月5日日曜日

鷲田清一「折々のことば」652を読んで

2017年1月30日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」652では
政治学者宇野重規の「保守主義とは何か」より、次のことばが取り上げられて
います。

 探していたものは、前からずっとここにあったのではないか。

最近の若い者は・・・。何時の時代にもよく聞く言葉です。また社会環境の変化が
急激で、目まぐるしい昨今では、私たち以上の年配者にっとて、若い人の生態や
言動は、ますます理解し難い部分が増えて来ているようにも、感じられます。

例えば、もちろん私が最新の世の流れや、広く行き渡っている通信手段に疎い
ということの告白に過ぎませんが、ラインでの交流やツイッターでのつぶやきなど、
若い人たちが周りの人との関係を結んでいる様子や、ネット言論に影響されて
いる実態などは、さしずめスマートフォンを肌身離さず持って何かやっているぐらい
しか分かりません。

でも東日本大震災の時に、多くの若者が自発的にボランティアとして駆け付けた
様子などを報道で見ていると、また混み合った電車やバスで、お年寄りに自主的に
席を譲る若い人を目の当たりにしたり、実際に話をすると、礼儀正しい受け答えを
する若者が多いと実感することからも、彼らの多くが公共心を持ち合わせた分別の
ある人々と感じさせられることが、しばしばあります。

また若者が、伝統的な行事や習俗に興味を持つ場面も以前より増えて来ているよう
にも、感じます。これは社会から急激にそういうものが失われて行くなかで、逆に
彼らがそれらの中に含まれていた大切なものに気づき始めた、ということではない
でしょうか?

上記のことばはそういう意味でも、私たち伝統産業に携わる者にも、希望を与えて
くれることばです。

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