2025年8月28日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3380を読んで

2025年4月14日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3380では 俳人正岡子規の短歌集『子規歌集』から、次の言葉が取り上げられています。    夢さめて先ず開き見る新聞の予報に晴れ    とあるをよろこぶ 正岡子規が長い闘病生活を強いられたのは周知の事実なので、その俳人がこのような歌を 残したことには、簡単ではない意味があると感じられます。 その人の心を深い心労や心痛が支配している場合、人はなかなかささやかな喜びに、心を割 くゆとりがないと推測されます。 しかし子規は、毎日の天気のような、病床にある者にとってはほんの些事についても、喜び を見出し、それをしみじみとした調子で、歌にしたのでしょう。そこには、俳人ならではの 豊かな感性と、心のゆとりを感じさせます。 現在の効率優先で、社会的な疎外感に囚われやすい世の中において、日常に追い立てられて 生活している私たちも、得てして身の回りの些細なことに、喜びや感動を見出せ難くなって いるように思われます。 そのような自分の精神状態に、改めてきづかせてくれるという意味でも、この歌には、かけ がえのない価値があると思われます。

2025年8月21日木曜日

黒川創著「京都」を読んで

第69回毎日出版文化賞受賞作です。先般新聞の書評欄で、「京都<千年の都>の歴史」と共に、京都を知る ための書として記載されていたので、合わせて読みました。約10年前の刊行で、連作小説のそれぞれの作品 が回想として書かれているので、現在からは更に遠ざかった頃のこの町の様子を描いていることになります。 また、私自身の人生の時間は、これらの連作で取り上げられている時期と重なっている部分が多くあります が、京都市中心部の中京区の辺りに暮らしてきたので、本書の舞台が主に市街周辺部ということもあって、 生活実感が微妙にずれている部分もあります。 この連作集は、今記したようなそれぞれの地域(町)の記憶と共に、経済的に恵まれた階層ではない、庶民 の生活を描いています。 以上のような要因もあって、私が本書を読んでまず感じたのは、自分の長く暮らす京都という町の記憶を共有 する懐かしさと、同じ街に住みながら、知り得なかった庶民感情に今更触れた、ある種のうずきと言っても いい戸惑いでした。 この本を読んでいて私が誘われたのは、小学生時代の追憶でした。というのは、私はその頃、父が祖父母の 営む商店である実家から離れて暮らしていた関係で、この市の繁華街を校区に持つ小学校に通っていました。 校区内には花街を初め飲食店、風俗店、パチンコ店などが軒を連ね、しかも当時は今と違って職場と住居が 一緒だったので、種々の家業の家の子供でクラスが構成されていました。 そのような事情もあって、私は小学生でありながら友達の家へ遊びに行くという名目で、通常18歳未満立ち 入り禁止の場所に出入りしていたのです。これらの家の子供は、国籍が違っていたり、大人びていたり、世間 ずれしているように感じられる場合もありました。本書の主人公たちは、私には彼らと重なるように思われる ところがあります。恵まれない運命に翻弄され、生き方を制限され、それぞれ町の名も無い一員として生きて 行くというように。 京都という都市は長い歴史があるだけに、地域の記憶も、各人の出自の因縁も、重層的に重ねられていて、 複雑に絡み合っています。それが歴史的な街の世間というものだったのでしょう。 しかし最近では、中心部でも町内の人間関係が希薄になって、町民が市外に移り、代わりにマンション、宿泊 施設が増えて、町自体も表面的に取り繕われて平板化しています。最早、本書に描かれたような濃密な庶民の 暮らしも、遠い幻と言えるかも知れません。

2025年8月13日水曜日

2025年8月度「龍池町つくり委員会」開催

8月12日に、8月の「龍池町つくり委員会」が開催されました。今回は、8月30日に行われる「龍池夏祭り」での 町つくり委員会メンバーの役割分担を決めることが主要なテーマで、実際の準備は当日午後2時頃からテント張り 等を始めるので、参加できる委員はそれに準じてマンガミュージアムに集合することになりました。 また、京都外大の南先生のグループメンバーは、当日2名が参加できるということで、それぞれの時間の都合に 合わせて、設営手伝い、ゲームコーナーの手伝い等をしてもらうことになりました。 「龍池夏祭り」の天候等による開催の可否は、晴天時はグラウンドにて実施、雨天時はAVホールとミュージアム 館内において実施、ただし、台風の直撃の可能性がある天気予報が出た場合には、当日提供する食材の準備の 都合で、8月27日までに開催できるかどうかを判断する、という取り決めが確認されました。 また、進行上話が前後しますが、今年の祇園祭における委員会メンバーの取り組みの活動報告として、まず、 役行者山の手伝いをしてくれた南先生グループからは、厄除けちまきの制作を行ったこと、そのほか山にちなむ お守り、記念品等の販売の手伝いをしたことなどの報告がありました。 私と寺井委員は、誘致を計画する鷹山の日和神楽を実際に見学して、順路を進行する様子、また、休憩所での 接待の様子をつぶさに見て、実際に誘致する場合に、どのような準備をしなければならないかを考えていく上で 大いに参考になったという話を、報告しました。 9月3日に龍池学区大原学舎で実施される、もえぎ幼稚園の野外活動には、自治連の大原学舎の担当で、当委員会 の委員でもある長谷川委員が当日立ち会ってくださいますが、南先生グループからも2名に手伝っていただく ことになりました。

2025年8月7日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3352を読んで

2025年3月4日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3352では 作家宮田珠巳による『宮田珠巳の楽しい建築鑑賞』から、景観デザインの研究者八馬智の次の言葉が取り 上げられています。    「見方が分からないときはスルーしてい    た風景なわけです。」 八馬は、建築において室外機の取り付けに着目する研究者で、実際に取り付けられた室外機を建築ごと 写真に撮ることによって、それまで気づかなかった新たな風景を発見することが出来ると言います。 つまり、本来目立たないように取り付けてある室外機に着目しながら写真を撮ることによって、今まで 見えなかった新たな視点を獲得することが出来ることを、「日常の絶景」に出会えたと表現するのです。 この視点は大切であると思います。私たちは日常の中で、ついつい見落としていたり、敢えて眼中に入ら ないようにして、無視していることが多々あると思います。 それで事足りることは多いのかも知れませんが、そのような態度に慣れきってしまって、見落としている ことも、往々にあると思われます。 だから敢えて通常には見ないものに視点を定めて、その角度からものを見ることは、新たな発見をもたら せてくれたり、更には新たな思考法を生み出してくれるかも知れません。 既存の価値観に囚われない、柔軟な思考を獲得するなめにも、必要なことであると思われます。

2025年7月30日水曜日

麻田雅文著「日ソ戦争」を読んで

第二次世界大戦の中の日本の関わった戦争を語る時に、歴史記述を含めて、日ソ戦争に触れる部分は、従来 極めて少なかったと思われます。それは両国の戦闘が、戦争終結の年1945年8月8日以降と極端に短期間で あり、また戦後東西冷戦が始まり、米国を中心とした西側に与した日本が、東側の中心ソ連と敵対する立場 になり、同国との外交関係が極めて希薄に推移したことが大きいのでしょう。 しかし実は、この日ソ戦は、戦後我が国のみまらず、東アジアの国際秩序に多大な影響を及ぼし、また、 ソ連の後身のロシアが北朝鮮と結託して、ウクライナへの侵略戦争を行っている現在、私たちにとっても 日ソ戦の詳細と推移を知ることは、極めて重要であると思われます。そこで開いた本書ですが、読了して私 自身、示唆されるところがかなり多いと感じられました。 まず日本の敗戦で戦争が終結する間際に、ソ連が日ソ中立条約を破棄して一方的に宣戦布告したことについ ては、戦争終結を急ぐ米国が、ソ連に強く参戦を働きかけ、実際にソ連参戦後も武器、物資を手厚く援助 したことを知りました。その点では、我々がかの国に抱いていた卑劣のイメージは、やや和らげられるかも しれませんが、開戦後は、ソ連兵による日本の傀儡国家満州国の日本人移民や、朝鮮半島、千島列島、樺太 在住の民間日本人への虐殺、暴行、強姦、強盗が横行し、日本人捕虜のシベリアへの強制連行も行われまし た。また日本が無条件降伏を宣言後も、自国領土を拡張するために侵攻を止めなかったという事実は、今日 のウクライナ戦争を想起させます。 日本軍の大陸侵略の是非はここでは置くとして、軍中枢の大本営が最後まで、ソ連による米国との仲裁の働 き掛けに望みを繋いだ見通しの悪さ、大陸駐留の関東軍が、ソ連参戦の時期を見誤った楽観主義、更には 現地在住の民間人を守れなかったことは、当時の日本軍の欠点を如実に表わしています。 またソ連が進出することによって、中国国内で共産党政府が勢力を伸ばし、中華民国政府が結果的に台湾に 追いやられることになったこと、米国、ソ連の取り決めで、朝鮮半島でのソ連軍の進行地点が38度線までと されたために、戦後南北の分断国家が生まれたこと、ソ連に不法占拠された日本の北方領土がなぜ存在する かということを、本書で改めて知ることが出来ました。

2025年7月25日金曜日

「鷲田清一折々のことば」3368を読んで

2025年3月27日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3368では 英国の作家G・K・チェスタトンの『正統とは何か』から、次の言葉が取り上げられています。    自己を信じて疑わぬというのは罪である    ばかりか、それは一つの弱さなのだ。 ここでは作家は、「国家もその正気を保つには、異変を察知するアンテナ、いいかえると己の 傲慢に反逆し、それを是正してゆく装置を内蔵していなければならない」ということが言い たかったと思われますが、ー異常を見破るのは尋常な人で、異常な人は異常を異常と思わない。 ーつまり、「徹底して現世的な人々には、現世そのものを理解することさえできぬ」という 部分に、惹かれるものを感じました。 すなわち、現世的な人々は、異常に気づけないということです。これを私なりに読み解くと、 現世的ということは、想像力に欠けるということでしょうか?現世における、栄達、保身、 欲望にきゅうきゅうとしていては、とても明晰な目で現世を眺めることが出来ないということ でしょう。 そのように理解すると、この言葉はとても教訓に満ちたことばであると思います。現に私たち は、益々膨大な情報や時間に追い立てられて、冷静に社会状況や、自分の置かれた立場を、 客観的に見る目を失っていると感じられるからです。 ではどうすれば良いのか?これは難しいのですが、ある程度には確固とした自己を保ちながら、 しかし一つの価値観に固執せず、柔軟に物事に対処したり、場合によっては自分をも疑う余裕 を持ち続けることが必要だと思われます。 言うは易く行うは難し。でも、そのように有りたいとは、思い続けることは大切だと考えます。

2025年7月17日木曜日

ハン・ガン著「少年が来る」を読んで

2024年の韓国初のノーベル文学賞受賞女性作家による、光州事件を描いた小説で、折しもこの国で現職 大統領による、過去の亡霊のような戒厳令が宣言された事件も相まって、緊張感を持って読み終えまし た。 それにしても、私たち日本人が本書を読むと、複雑な感情が湧き起こってきます。というのは、光州事件 は言うまでもなく、当時の韓国の軍事独裁政権によって、民主的思想の住民の弾圧、殺戮が行われた事件 で、第二次世界大戦の終結前まで、この国を植民地化していた我が国が、この事件の遠因を担っていた ことは、間違いないからです。 この民族が朝鮮戦争によって南北に分断され、以降休戦状態が続くという異様な政治状況の中で、北朝鮮 は共産主義独裁政権に支配され、南朝鮮は当時大韓民国として、軍事独裁政権に統治されていたのです。 そのような政治的緊張の中で、北朝鮮の影響力を恐れた韓国の軍事政権の蛮行は、起こるべくして起こっ たのかも知れません。従って私たちは、光州事件を決してよそ事として、冷めた目で眺めることは出来な いのです。しかしそれにも関わらず、私はこの事件について、余りにも何も知りませんでした。 そのような状態で本書を読んで、この本では犠牲者への鎮魂の想いを主眼として事件が描かれていますが、 その残酷さ、命を落とした人のみならず、虐待の爪痕を残され、以後の人生を狂わせられた人々、肉親を 事件で失い、深い喪失感と共に余生を生きなければならなかった人々の様子が、くっきりと浮かび上がり、 この事件のおぞましさが強く脳裏に焼き付けられます。だからこそ本書は、私たちが読むべき作品です。 それにしても今回の韓国の戒厳令宣告は、当時と比較して、この国の民主主義が根付き始めているから こそ、大惨事に至らなかったのであり、反面、共産主義独裁が続く北朝鮮の核兵器開発、ウクライナへの 派兵は、南北分断の緊張感と、一触即発の危うさを如実に示しています。 我が国の戦前の軍事政策が今なお影を落とす、隣国の複雑な関係を、私たちは看過することは出来ません し、歴史文化をより深く知ることも必要であると、改めて感じました。