2025年4月30日水曜日
「鷲田清一折々のことば」3299を読んで
2024年12月21日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3299では
教育社会学者・苅谷武彦の『学校って何だろう』から、次の言葉が取り上げられています。
自分でつかんだわけではない幸運に、ど
れだけ責任をもつのか。
私たちはどの親の許に生まれるかを選べない。しかし与えられた境遇の差は人生に濃い影を
落とす。だから恵まれた人は「自分で選んだわけではないことで自分が有利になった」こと
に自覚的であれと、この教育社会学者は言います。
この言葉は、胸にしみます。私の生きてきた道筋を振り返っても、私は自分の人生の各段階
それぞれにおいて、色々な悩み事はあっても、基本的には経済的困窮も無く、また、5年前の
大腸癌手術を除いて、肉体的な危機もなく過ごしてきました。しかし、日常の些事や去来す
る心配事にかまけて、自分が人より恵まれていることなど、全く考えませんでした。
でも、客観的で、俯瞰的な目で見れば、確実に市井の人々の中で、比較的不自由のない境遇
に生きてきたと思います。しかしそのような現実には気づかずに、ましてや恵まれていると
いう感謝の気持ちもなく、、日々の暮らしに追われてきたと感じます。
もし自分の人生が他より恵まれていることに自覚的であれば、少なくとも社会的使命感が生じ
たり、他者に対して優しくなることが出来ると思います。これからは自分自身が老境に入り、
自分の心身を気遣わなければならない場面も増すと思われますが、このような意味での感謝も
忘れないようにしたいと思います。
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