2025年3月18日火曜日

内田百閒著「第一安房列車」を読んで

鉄道紀行文学の秀作であり、今も読み継がれる名作、内田百閒の第一安房列車を読みました。とにかく、 旅の浮き立った気分が味わえて、楽しかったです。 その楽しさの基調には、戦後復興期で多くの人々が多忙に働く中で、「なんにも用事がないけれど 汽車に乗って大阪に行って来ようと思う。」百閒先生の気楽さがあると思います。この作品を読んだ 当時の人々は、どれほど先生の気楽さに羨望を感じたか分かりません。 しかし、この常識に囚われない自由さは、信念に基づく筋金入りです。先生は、名の知れた小説家でし たが、決して特別の経済的ゆとりがあった訳ではなかったようです。それでも、借金をしてまで等級の 高い車両に乗って、優雅な旅を楽しみます。また、時間には特に、余裕を持たせることを心がけます。 朝の早い列車には乗りません。もし以降のスケジュールに都合のいい列車が朝に東京を出発するなら、他 の遅い時刻に出発する列車にあえて乗車して途中まで行って、一泊し、そこから翌日の遅い時刻に、 東京発の前述の同じダイヤの列車に乗るようにします。因みに、旅先の旅館でも、朝食は取らず朝寝し て、夜の酒席に備えます。勿論列車内でも食堂車があれば、酒をたしなむことを忘れません。 またせかされて列車の乗り換えはせず、そのために2時間待ちも厭いません。このように徹底的に、時間 に余裕のある旅を貫きます。更には、先生の社会の常識的な価値観を超越した批評精神が、独特のユー モアを伴って、記述に味を添えます。旅先で出会った人々の人間観察、権威には媚びず、歯に衣を着せ ず、名の知られた観光地には行かないで、何気ない風光に美を見出します。そして、鉄道に乗ることが ただ楽しいのです。 しかしここで言い忘れてはいけないのは、百閒先生自身がある意味、特権階級であるということです。 彼の気ままで、我がままな旅を支えるのは、弟子で同行者で、鉄道関係者のヒマラヤ山系こと平山氏 です。二人の取り合わせには、先生の毒気を中和する役割があり、その旅先でのやり取りには、漫才の 掛け合いにも似た、おかしみがあると感じられました。 最後になりましたが、この名作紀行文学を現代の視点で読むとき、戦後直ぐの頃の鉄道事情が、興味深く 感じられます。またこの部分が、鉄道好きにはたまらないと思います。

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