2025年3月27日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3271を読んで

2024年11月22日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3271では 詩人、批評家大岡信の『肉眼の思想』から、次の言葉が取り上げられています。    専門家とアマチュアの区別は、作品の質    の良し悪しとは別個である。 この詩人は、「先人たちの仕事の累積の中に自己自身を自覚的に位置づける意思と実行力を 持つ者」が専門家であると、考えていたようです。しかも「歴史を踏まえているというにとど まらず、つねにそれらに厳しく対峙するような緊張の中にいるということだと」 これはもっともな言だと思います。専門家であるためには、自分の技量、知識量の高さは言う までもなく、しかもこれらは、その分野の伝統に培われたものを熟知、体感して、その前提の 上に築き上げられ、蓄積された種類のものでなければならないでしょう。 昨今は、今成というか、生半可に技術や知識を習得して、それで専門家然と振る舞う人も見受 けられますが、結局のところ、蓄積されたものの裏付けや、それを基盤とする矜持や覚悟が なければ、直ぐにメッキは剥がれるものだと思います。 私も自分の商いという、限られた小さな分野においては、少なくとも、専門家的でありたいと 考えています。

2025年3月18日火曜日

内田百閒著「第一安房列車」を読んで

鉄道紀行文学の秀作であり、今も読み継がれる名作、内田百閒の第一安房列車を読みました。とにかく、 旅の浮き立った気分が味わえて、楽しかったです。 その楽しさの基調には、戦後復興期で多くの人々が多忙に働く中で、「なんにも用事がないけれど 汽車に乗って大阪に行って来ようと思う。」百閒先生の気楽さがあると思います。この作品を読んだ 当時の人々は、どれほど先生の気楽さに羨望を感じたか分かりません。 しかし、この常識に囚われない自由さは、信念に基づく筋金入りです。先生は、名の知れた小説家でし たが、決して特別の経済的ゆとりがあった訳ではなかったようです。それでも、借金をしてまで等級の 高い車両に乗って、優雅な旅を楽しみます。また、時間には特に、余裕を持たせることを心がけます。 朝の早い列車には乗りません。もし以降のスケジュールに都合のいい列車が朝に東京を出発するなら、他 の遅い時刻に出発する列車にあえて乗車して途中まで行って、一泊し、そこから翌日の遅い時刻に、 東京発の前述の同じダイヤの列車に乗るようにします。因みに、旅先の旅館でも、朝食は取らず朝寝し て、夜の酒席に備えます。勿論列車内でも食堂車があれば、酒をたしなむことを忘れません。 またせかされて列車の乗り換えはせず、そのために2時間待ちも厭いません。このように徹底的に、時間 に余裕のある旅を貫きます。更には、先生の社会の常識的な価値観を超越した批評精神が、独特のユー モアを伴って、記述に味を添えます。旅先で出会った人々の人間観察、権威には媚びず、歯に衣を着せ ず、名の知られた観光地には行かないで、何気ない風光に美を見出します。そして、鉄道に乗ることが ただ楽しいのです。 しかしここで言い忘れてはいけないのは、百閒先生自身がある意味、特権階級であるということです。 彼の気ままで、我がままな旅を支えるのは、弟子で同行者で、鉄道関係者のヒマラヤ山系こと平山氏 です。二人の取り合わせには、先生の毒気を中和する役割があり、その旅先でのやり取りには、漫才の 掛け合いにも似た、おかしみがあると感じられました。 最後になりましたが、この名作紀行文学を現代の視点で読むとき、戦後直ぐの頃の鉄道事情が、興味深く 感じられます。またこの部分が、鉄道好きにはたまらないと思います。

2025年3月12日水曜日

2025年3月度「龍池町つくり委員会」開催

2025年3月11日に、3月度の「町つくり委員会」が開催されました。 今回から、中谷委員長が定例の委員会へ出席されないことになって、副委員長の私三浦が、単独で委員会の 進行を担う事になりました。何分不慣れなために、不行き届きの点もあるかも知れないが、各委員のご協力 のもと、今までよりもより開かれた会の運営を行っていきたいと考え、その旨冒頭に説明し、了解を得まし た。 最初に澤野委員より、中谷委員長から託された、「歌声サロン」の担当者会議の議事録が配布され、それに ついての説明がありました。これはこの行事を町つくり委員会が後援することについて、寺井委員より疑義 の申し立てがあり、その釈明のため提示されたという経緯があります。 この行事への町つくり委員会の関わりの根本的な問題点としては、龍池学区の参加者が少ないということで あり、また中谷委員長が今まで後押しされてきたこともあって、協議の結果今しばらく、当学区民の参加を 促す告知ポスター、回覧チラシの各町への配布を続けながら、成り行きを見ようと言うことに、委員の意見 が一致しました。 次に「鷹山日和神楽」の誘致の方策について検討が行われ、今年度の誘致は無理としても、翌年度以降の 可能性を残す為にも、6月くらいにマンガミュージアムに鷹山囃子方をお呼びして、子供を含む学区民対象 の演奏、体験のワークショップが開けないか、という話になり、もし開くとするならば、鷹山だけではなく、 学区内にある他の山、役行者山、鈴鹿山も含めて、当学区における祇園祭を巡る催事という形で、話を進め ようということに話がまとまり、南先生の自主ゼミグループにもご依頼して、企画を立案していくことに なりました。 次に大原学舎の活用については、南先生のグループメンバーが、当地で学区民に提供するためのジャガイモ、 シソの栽培の活動を続けておられますが、更に寺井委員より、龍池と大原の交流をより深めるために、大原 で栽培された農産物を当学区に販売に来てもらうという企画は出来ないか、という提案があり、マンガミュ ージアムを会場として、そのようなことが実現可能かどうか、南先生にもご協力頂いて、更に検討を重ねる ことになりました。 今回の「委員会」は、建設的な提案も多く出て、私にとっても、初回としては安堵できる結果となりました。

2025年3月6日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3255を読んで

2024年11月5日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3255では 劇作家・評論家福田恆存の随想「物を惜しむ心」(1964年)から、次の言葉が取り上げられています。    物を破壊する事によって、その人は物の    中に籠もっている人の心を殺してしまった    のです。 日本人は古来、使い込んだ物には魂が宿ると考えて来ました。例えば、付喪神を信じるという風習も あります。 更には、ある人が日常大切に使っていた物には、その人の想いが宿るという考え方も、生まれたので しょう。 だから上記のことばの言うように、物を壊す事は、それを使っていた人の心を壊すことにつながるの でしょう。ちょっとこの場の例として適切かどうかは分かりませんが、葬式で霊柩車が発進する時に、 故人の日常使っていた茶碗を割るのは、故人のこの世への想いを断つ、ということでしょうか? さて、物を大切にする心は、他者への慈しみや、感謝、礼節にもつながると、私は考えます。特に その物自体が、手工芸品など丹精を込めて作られた物であるなら、その物を作った人に想いを馳せ ながら大切に使うことは、作り手と使う人の心の交流を生み出すと思うのです。 日常使用する品の内の数点でも、私はこのような愛用すべき物を見出し、大切にしたいと、心がけて います。

2025年3月1日土曜日

ソロー著「ウォールデン 森の生活」を読んで

アメリカの近代人による、アウトドアライフの思想の原点と言って良い作品です。かねてより難解という風評 があって、読みあぐねていましたが、思い切って読むことにしました。 まず感じたのは、確固たる信念に基づく書であるということです。というのは、本書が著された時代アメリカ では、プロテスタンティズムが資本主義と強く結びついて、勤勉な経済活動が国民の義務と強固に意識されて いた中で、ハーバード大学卒業という、当時の選ばれた知的エリートであるソローが、森の中で生産性のない 生活を営むという行為が、背徳的であると見なされたことは想像に難くなく、余程の決意がなければ、この ような生活を決行出来なかったと思われるからです。 事実一部の友人を除いて大多数の周囲の人々が、彼に好奇と非難がましい目を向けているように感じられます。 しかし彼には、このような自然に融け込んだ生活こそが、人間本来の暮らしであるという堅固な信念があって、 この生活から得られる満足と喜びを、独特の詩的な文体で書き綴ったのです。 その文章は、自然現象や樹木、草花、野生の小動物にたいする愛に溢れ、そのような描写の部分は、読むだけ で幸福な気分になります。しかもただ単なる詳細な情景や観察の描写ではなくて、科学的知識や洞察に裏打ち された記述なので、その表現には的確さがあり、読者に対して強い説得力を持ちます。このような特徴が、 以降のアウトドアライフの思想的原点となり得た所以でしょう。 また私が本書に好感を持ったのは、ソローが猟師や木こり、そしてアメリカインディアンなど、無学で社会的 地位が低く、当時上流階級の人々から差別的な視線を向けられていた人たちの中に、野生の生活力という美点 を見出していたことであり、彼らの有するこの能力を敬愛していたことです。そこには、ソローの本質を見抜 く確かな目が感じられます。 本書が著されてから約170年の年月が過ぎ去り、今日の視点から改めて見直すと、彼が訴えたことは、正に現代 社会の抱える切実な問題として、私たちの前に迫って来ます。その意味でも、長い年月が経過しても、決して 色あせない希有の思想書と言えるでしょう。