2019年3月6日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1391を読んで

2019年3月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1391では
芥川龍之介の『侏儒の言葉』から、次のことばが取り上げられています。

  最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しなが
  ら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をする
  ことである。

この言葉は、かつてなら自分の身は高みに置いて社会を揶揄する、冷笑的な知識人
の生態を端的に示す言葉だったように思われます。

この身の処し方とは対照をなす、熱い心を持って社会を変革しようと行動する人物が、
物語やドラマの主人公としてもてはやされた時代があったと記憶します。

しかし政治的な混乱や経済成長の熱狂の時代が過ぎて、私たちの社会がいわゆる
成熟の時期を迎えると、人々は現在の生活水準を維持しようと保守的な考え方に
囚われ、あるいはこれ以上いかなる努力をしても社会は変わらないという諦念に囚わ
れて、主体的に社会の変革に関わろうとする能動的な意志を、次第に失って行って
いるように感じます。

更にSNSの急速な発達によって、個人が匿名で自分の主張を広範囲に拡散出来る
ようになったことから、無責任で公共の倫理に反する言論が巷にあふれる現象が、
現に起こっています。

このような社会状況にあって、かつての冷笑的な知識人の恥ずべき処世術を、鷲田
もこの稿で指摘するように、我々現代人もなぞることになっているのでしょう。

その意味で上記の芥川の言葉は、時代を飛び越えて私たちに向けた鋭い警句と
なっていると、感じました。

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