2017年9月15日金曜日

京都国立近代美術館「絹谷幸二 色彩とイメージの旅」を観て

絹谷の絵画といえば、飛びぬけてカラフルであくまでも陽性、エネルギーが横溢する
ようなイメージがまず、思い浮かびます。ところがこの大規模な回顧展を観て、その
イメージはある意味一面的であることに気づかされました。

このような気づきは、画家の画業を通覧する回顧によって初めて得ることが出来る、
楽しみの一つなのでしょう。

まず、イタリア留学前の東京藝術大学在学時代の作品を展示する第1章 蒼の時代、
表題通り蒼を基調とした絵画が並べられていますが、彼の代名詞のような作品とは
まったく違う、孤独、不安、懐疑に彩られたクールな画面で意表を突かれます。

彼は、古都奈良の由緒ある旅館の子として生まれるも、両親が離婚したこともあって、
人生に満たされないもの、疑問を持ち続けていたといいます。その偽らざる感情の
表出が、これらの作品を生み出したのでしょうが、ここで忘れてはならないことは、
これらの初期の絵画が絹谷の作品に対して我々が抱くイメージとは随分違っても、
それらは別の基準で私たちの心に響く優れた絵画であり、画家の非凡さを余すこと
なく示していることです。

また一度初期のこれらの作品を観てしまうと、以降の明るい色彩のエネルギッシュな
絵画の見え方も変わって来て、彼のあくまで陽性で力強い表現は、アフレスコという
技法上の制約もあるに違いないのですが、初期の負の思念を乗り越えようとする
ためのものであることが見えて来ます。その意味において、彼は終始一貫して自身の
心に忠実に絵を描く画家であると感じられました。

さらにイタリア留学がいかにして、彼の絵画にこのような劇的な変化をもたらしたのか
ということについても、もっと知りたくなりました。

次に第3章 安井賞における絹谷の同賞受賞作と安井曾太郎本人の作品との比較が、
時代による具象表現の変化を具体的に示していて、興味深く感じました。

明治時代にヨーロッパに留学した安井は、まだ日本に西洋絵画が受け入れられて
日が浅いこともあって、ヨーロッパの絵画技法をいかにして日本的な感性に馴染ま
せるかということに、腐心していたように感じられます。

他方絹谷は、我が国に西洋絵画が一つのジャンルとして定着した昭和後期に同じく
留学して、最早具象表現も単なる具象では飽き足りなくなっている時代の要請も
あって、日本的な感性とも融合したまったく独創的な作品を生み出しています。

絹谷個人の画業の回顧だけではなく、明治以降の日本の西洋絵画の歴史にも思いを
馳せることの出来る、優れた展観でした。

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