2017年9月22日金曜日

9月19日付け「天声人語」を読んで

2017年9月19日付け朝日新聞朝刊の「天声人語」では、先ごろ日本遺伝学会が
「優性」「劣性」という言葉遣いをやめ、「顕性」「潜性」と改めると発表したことを
取り上げて、「翻訳語」について考察しています。私もこのコラムを読んで心に
響くところがあり、以下に記してみます。

日頃私たちは、その言葉が「翻訳語」であるかどうかということを、あまり意識
せずに使っていますが、改めて考えると、近代以降に西洋より導入された概念、
ものの名前は大部分が翻訳された言葉であり、その影響には計り知れないもの
があります。

しかしまた、当初のその言葉の元来の意味は、なるほど翻訳というフィルターを
通過することによって変容を遂げることになるのでしょうが、その言葉が持ち込ま
れてからの時間経過が、新たな意味合いを付け加える、あるいは本来の意味を
よみがえらせることもあると、感じます。

例えばこのコラムで例示されている「農薬」という言葉も、最初は悪い印象を払拭
するために採用されたのかも知れませんが、私たちは「農薬」による健康被害や、
環境汚染を実際に体験することによって、「農薬」という名前の物質そのものが
危険な薬剤という認識を深めて行ったと思います。それは「公害」という言葉も、
然りです。

コラムの筆者も、本来「翻訳語」とはこれほど繊細で、その含意も微妙に変遷する
可能性のあるものなのに、最近の安易なアルファベット表記のカタカナへの移し
替えで事足れりとする「翻訳言葉」は、意味を曖昧にしないかと懸念していますが、
それ以前に現代のわれわれの社会を広く覆う、物事を深く考えない軽薄な風潮の
現れではないかと、改めて感じさせられました。

0 件のコメント:

コメントを投稿