2025年8月21日木曜日
黒川創著「京都」を読んで
第69回毎日出版文化賞受賞作です。先般新聞の書評欄で、「京都<千年の都>の歴史」と共に、京都を知る
ための書として記載されていたので、合わせて読みました。約10年前の刊行で、連作小説のそれぞれの作品
が回想として書かれているので、現在からは更に遠ざかった頃のこの町の様子を描いていることになります。
また、私自身の人生の時間は、これらの連作で取り上げられている時期と重なっている部分が多くあります
が、京都市中心部の中京区の辺りに暮らしてきたので、本書の舞台が主に市街周辺部ということもあって、
生活実感が微妙にずれている部分もあります。
この連作集は、今記したようなそれぞれの地域(町)の記憶と共に、経済的に恵まれた階層ではない、庶民
の生活を描いています。
以上のような要因もあって、私が本書を読んでまず感じたのは、自分の長く暮らす京都という町の記憶を共有
する懐かしさと、同じ街に住みながら、知り得なかった庶民感情に今更触れた、ある種のうずきと言っても
いい戸惑いでした。
この本を読んでいて私が誘われたのは、小学生時代の追憶でした。というのは、私はその頃、父が祖父母の
営む商店である実家から離れて暮らしていた関係で、この市の繁華街を校区に持つ小学校に通っていました。
校区内には花街を初め飲食店、風俗店、パチンコ店などが軒を連ね、しかも当時は今と違って職場と住居が
一緒だったので、種々の家業の家の子供でクラスが構成されていました。
そのような事情もあって、私は小学生でありながら友達の家へ遊びに行くという名目で、通常18歳未満立ち
入り禁止の場所に出入りしていたのです。これらの家の子供は、国籍が違っていたり、大人びていたり、世間
ずれしているように感じられる場合もありました。本書の主人公たちは、私には彼らと重なるように思われる
ところがあります。恵まれない運命に翻弄され、生き方を制限され、それぞれ町の名も無い一員として生きて
行くというように。
京都という都市は長い歴史があるだけに、地域の記憶も、各人の出自の因縁も、重層的に重ねられていて、
複雑に絡み合っています。それが歴史的な街の世間というものだったのでしょう。
しかし最近では、中心部でも町内の人間関係が希薄になって、町民が市外に移り、代わりにマンション、宿泊
施設が増えて、町自体も表面的に取り繕われて平板化しています。最早、本書に描かれたような濃密な庶民の
暮らしも、遠い幻と言えるかも知れません。
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