2025年6月26日木曜日

高橋昌明著「京都<千年の都>の歴史」を読んで

本書を、自分の生まれた町の歴史を知りたいという単純な動機で読み始めましたが、結果として、この都市に ついてのもっと深いところまで想いが至る、読書になったと思います。 勿論、京都は長年に渡り日本の都でしたから、その歴史が一筋縄ではいかないものであることは、あらかじめ 想像出来ました。また、私自身にも、歴史的価値観を有する都市が自分の生まれ故郷であるという、出生地へ のある種の自負があることは事実です。 しかし、この都市に対して私の抱くイメージは、あくまで、自分が生まれてから今日に至る間の環境から受け た影響に色濃く支配されていて、そういう意味では、和装という市中心部の基幹産業が著しく衰退し、他方 観光都市として他の地域、観光客からの人気は高く、その結果地元民の高齢化と若年層の流出、マンション、 ホテルの林立という具合に、都市の空洞化が進み、かつての輝きを失った過去の栄光にすがる都市という風に 映ります。 だから、もしかしたら私は、この本を読んで、この都市の過去の繁栄を追体験することによって、少し自尊心 を満足させたいと考えたのかも知れません。しかし実際に本書を読んでみると、この都市の来し方は、それほ ど生半可なものではなく、むしろ歴史に翻弄された波瀾万丈のものであったことが分かります。 まず最初の平安京は、今の千本通り辺りを中心軸として、天皇が居住し、政務を行う平安京(大内裏)を、 現在の京都御苑よりかなり西方に設け、そこから鴨川以東、西京極以西の東西に広がっていました。これは あくまで計画的に建設された都市で、以降市街地が東部中心に発展したり、頻発した大火、地震、戦乱、為政 者の意向に影響されて、有機的に形を変えながら発展してゆきます。 住人の生活は、衛生面では室町時代頃まで、街路の側溝に糞尿を垂れ流し、その結果伝染病がしばしば猛威を 振るい、自然災害、人災と共に、人々を苦しめたそうです。また治安面では、庶民の暮らしは為政者、権力者 の動向に左右され、応仁の乱や戦国時代の政治権力の空白時には、市街地自体が二分、縮小を余儀なくされた と言います。 このような厳しい条件の中で、住民は公家、宗教界、武士の勢力の干渉と折り合いを付けながら、町単位の 自治を育んでいったそうです。 この本を読んで、現在の町人気質の成り立ちを知ると共に、一隅の一住民としても、町を再生するための気概 を、奮い立たせなければならないと感じました。

2025年6月18日水曜日

「鷲田清一折々のことば」3342を読んで

2025年2月18日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3342では 小説家川崎秋子による論考「人間と動物を分かつ壁の向こう側」(「アンジャリ」第44号)から、 次の言葉が取り上げられています。    人間の弱さと傲岸さは、けれどひとつの    武器でもある。 人間は集団で社会生活を行い、特に現代人は、色々な社会システムの庇護の許にあって、もし 単独で野生の世界に放り込まれたら、驚くほど無力な存在でしょう。 それに引き換え野生動物は、限られた環境に特化しているとはいえ、単独あるいは群れという 集団を構成していても、自らの生の目的を遂行するために、懸命果敢に個としての生き様を貫い ているように感じられます。 客観的に見たら、後ろ向きに思い悩んだり、煩悩に囚われたり、あるいは優柔不断でもある人間 は、随分弱く、欠点の多い存在であるように思われます。 しかし人間の他の動物にない優れたところは、他者をおもんばかり、コミュニケーションを取っ て、共同で生活環境(社会)を築き上げるところでしょう。つまり、個々の存在としての弱さ故に、 人間は言語を生み出し、文明を発展させて、現代の社会環境を生み出したのでしょう。 そのように考えると、弱さや欠点が転じて、繁栄に導いた、とも言えます。逆説はまた真なりと 言えるのでしょう。

2025年6月12日木曜日

2025年6月度「龍池町つくり委員会」開催

6月10日に、「龍池町つくり委員会」が開催されました。 まず、8月30日に開催される、龍池学区恒例の「夏まつり」に、鷹山のお囃子体験のプログラムを組み入れ られないかということを、検討しました。これは将来的に、鷹山の日和神楽を当学区北側に誘致するために、 鷹山保存会と学区の関係を維持することが必要であると考えるからで、当初は、祇園祭までの6月か7月に 単独で実施する予定であったところ、6月7月は先方の予定が立て込んでいて、それでは、「夏まつり」の 一つのプログラムとして、組み入れてはどうかということになった次第です。 事前に私が、連合会長の許可と、町つくり委員でもある鷹山関係者の森さんに可能であるかの打診をして、 今回の委員会にその案を持ち込みました。まず、出席されているマンガミュージアムの事務局長勝島さんに、 タイムスケジュールの面で、プログラムへの組み入れが可能であるかを確認し、十分可能であるということ なので、他のメンバーの意見を聞いて、正式に鷹山保存会に出演を依頼することになりました。 その場合、マンガミュージアムが作成されるポスターと各町会回覧用のチラシに、このプログラムの告知を 記載して頂くことと、新たに町つくり委員会町でも、鷹山お囃子体験メニューに特化したチラシを制作して、 8月頃に回覧することになりました。 その他の報告事項としては、京都外国語大学南先生より、「南町つくりゼミ」の役行者山での祇園祭の手伝 いの予定が報告され、また同ゼミでは、メンバーによる龍池学区の町歩きを実施するということです。 マンガミュージアムからは、7月27日に地域の子供たちにマンガの描き方を漫画家の先生が指導する、「マン ガ道場」の開催、8月23日には、同ミュージアムの荒俣館長による、「大人ゆうれい教室」が開催される ことが、報告されました。

2025年6月5日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3333を読んで

2025年2月4日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3333では 『新明解故事ことわざ辞典』の記載から、次のことわざが取り上げられています。   耳は大なるべく口は小なるべし このことわざは、「情報は広範囲から得るのがよいが、それを人に語るのは控えめにしたほうがいい」 という意味のようです。 確かに、情報は色々な所から得て信憑性を高め、正確を記するのが良く、それでいて、それを自ら 発信するときには、その情報の他への影響や、発信することの損得も考慮に入れて、慎重を記すのが 得策でしょう。それが思慮深いということだと思われます。 他にも「耳の楽しむ時は慎むべし」(甘言に十分注意すること)「耳に釘」(相手に警句を発する) など、耳にまつわることわざは多いようです。このように聞くという行為は、見ると並んで、社会や 周囲の状況を把握し判断するために、大変重要な行為であると思われます。 しかし現代は、グローバル化、情報社会化の弊害として、目と耳に情報が過剰に入ってきて、返って 判断を誤らせるという事象も生まれてきているように思われます。この場合は、入ってきた情報を 正確に取捨選択する知性、冷静さの必要性が、更に増してきているように思われます。