2024年11月30日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3279では
俳優沢村貞子の随筆集『わたしの台所』から、沢村の母の次の言葉が取り上げられています。
「あんまりこぎたない格好をしている
と、はたの人に気の毒だからね」
この言葉は、身だしなみという行為が、自分をやつして見栄え良く見せるというためではなく、
他人に不快と思わせないためになされるべきものであるということを、語っています。
確かに私の周囲でも、以前には庶民の間に、このような感覚があったと思います。だからいた
ずらに、お洒落な服を着て、着飾るのではなく、体を清潔に保って、高価では無くても、手入
れの行き届いた服装を心がけるというような・・・。
ただし昔は、職業や生活レベルによって、ある程度服装の規範が定まっていたようなところが
あって、この階層の人はこれくらいの素材で、そのような縫製の衣服を着用する、という慣習
があったように思い出されます。
だからある意味現代のように、必ずしも服装でその人の職業や、生活水準が判断出来ないという
ことも、社会生活における公正さという点では、好ましいのかも知れません。
しかし私は、例え日常的な装いであっても、周りの人を不快にさせない心配りというものは、
必要であると考えます。自分の都合だけではなく、周囲の人々との調和も考える。これは、公共
性を有することにもつながるのではないでしょうか。