2025年4月30日水曜日

「鷲田清一折々のことば」3299を読んで

2024年12月21日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3299では 教育社会学者・苅谷武彦の『学校って何だろう』から、次の言葉が取り上げられています。    自分でつかんだわけではない幸運に、ど    れだけ責任をもつのか。 私たちはどの親の許に生まれるかを選べない。しかし与えられた境遇の差は人生に濃い影を 落とす。だから恵まれた人は「自分で選んだわけではないことで自分が有利になった」こと に自覚的であれと、この教育社会学者は言います。 この言葉は、胸にしみます。私の生きてきた道筋を振り返っても、私は自分の人生の各段階 それぞれにおいて、色々な悩み事はあっても、基本的には経済的困窮も無く、また、5年前の 大腸癌手術を除いて、肉体的な危機もなく過ごしてきました。しかし、日常の些事や去来す る心配事にかまけて、自分が人より恵まれていることなど、全く考えませんでした。 でも、客観的で、俯瞰的な目で見れば、確実に市井の人々の中で、比較的不自由のない境遇 に生きてきたと思います。しかしそのような現実には気づかずに、ましてや恵まれていると いう感謝の気持ちもなく、、日々の暮らしに追われてきたと感じます。 もし自分の人生が他より恵まれていることに自覚的であれば、少なくとも社会的使命感が生じ たり、他者に対して優しくなることが出来ると思います。これからは自分自身が老境に入り、 自分の心身を気遣わなければならない場面も増すと思われますが、このような意味での感謝も 忘れないようにしたいと思います。

2025年4月25日金曜日

洲之内徹著「気まぐれ美術館」を読んで

画廊主、小説家、エッセイスト洲之内徹の「芸術新潮」人気連載をまとめて、書籍化した本です。 彼が美術に造詣が深いのは言うに及ばず、左翼運動で戦前に投獄され、敗戦後には貧しさから家族離散を 経験するなど、その波乱に富んだ経歴によって培われた独特の美術観も相まって、他の追随を許さない ユニークな美術エッセイになっています。 私小説的美術エッセイとも言われ、美術の話よりも、直接的に関係の無い個人的体験が主な話題になって いる回も見受けられますが、私が興味を引かれたのはやはり、絵画、画家にまつわる話題で、画廊主とい う立場の人間のそれらへの濃密な関わり方が、一番印象に残りました。 まず気を引かれたのは、林倭衛の1919年の絵画「出獄の日のO氏」という油絵作品(モノクロの図版有り) です。さてO氏とは、関東大震災直後憲兵に連行され、虐殺された、無政府主義者大杉栄で、この半身の 肖像画も頬のこけた痩身で、意志の強そうな眼光はあくまで鋭く、一種鬼気迫る面構えになっています。 この作品は、倭衛によって二科展に出品されようとしましたが、当局に阻止され、それに抗議して大杉が 展覧会に突入を画策した逸話もあります。しかし以降画家本人の元に秘蔵されていたことになっていま したが、実は戦前の内務省警保局長の人物が長くこの作品を所持し、後に二・二六事件が起こるなど世相 が不穏になってきたので、立場上絵を倭衛に返したといいます。 その経緯を知った洲之内が、以前「芸術新潮」に書いた記事が再び話題になって、この連載で再度取り上 げています。一枚の絵画の数奇な運命と洲之内自身の過去が微妙に重なって、味わい深いエッセイになっ ています。 次に無名の内に癌で夭折した、田畑あきら子という画家について。洲之内は、遺稿集である彼女の詩画集 をもらって、その魅力の虜になり、彼女の地元の新潟の美術館でも素描作品を観て確信を深め、彼女の姉 の家を訪れて油絵の作品を観ます。その時、姉から彼女の最後の様子を聞いて、彼女の残した詩、絵、 言葉から、彼女の芸術に対する思索を深めるのです。田畑あきら子の残した言葉、ー美しきもの見し人は、 はや死の手にぞわたされけりーが心に刺さりました。

2025年4月17日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3289を読んで

2024年12月11日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」では ライター北尾トロの『長く働いてきた人の言葉』から、次の言葉が取り上げられています。    あえて言葉にされない平凡な1日の積み    重ねが、その人の厚みになっている。 北尾は、「いろんな職業の人に話を聞いてきたが、心底感心した人に、劇的な人生を送った人や高みから 教訓を垂れるような人は一人としていなかった」と言います。 そう、有名人であったり、格別の実績を収めた人より、名も無く、コツコツと生きてきた大多数の人々の 中にこそ、温厚篤実な人は居るのでしょう。逆に社会で成功する人は、他より抜きん出るために、自己 主張が強かったり、人を出し抜くような誠実でない部分があったり、あるいは、初心は素晴らしい人品の 持ち主であっても、周りからちやほやされる内に、わがままが顔を出したりするのかも知れません。 特別恵まれずとも、与えられた日常を精一杯、ただ黙々と生きてゆく。そういう心構えの人の中に、いぶし 銀のように輝くものが生まれうるのだと思います。でもこれは、決して容易に達成されるのではなく、なぜ なら、起伏のない平穏な日常を淡々と生きることには、信念と受容と、忍耐が必要なはずだからです。 一貫して平凡な日常を歩んできた私も、そのような人になることを目標として、残りの人生を生きていき たいと思います。

2025年4月9日水曜日

2025年4月度「龍池町つくり委員会」

4月8日に「龍池町つくり委員会」が開催されました。 まず、自治連合会に提出するために私が作成した、令和6年度の「町つくり委員会」の活動報告書、決算書、 及び令和7年度の活動計画書について、委員会で審議しました。概ねのところは了承を得ましたが、これら の書類の提出に合わせて、連合会役員並びに、各種団体長に当委員会への勧誘のチラシを配ることについて は、その対象を各町会長にも広げて参加を呼びかけることになり、新たに各町会長向けのチラシも作ること になりました。 会議内容に入り、南先生から自主ゼミグループの今年度の取り組みについて説明があり、今会議当日出席 いただいたゼミグループ10名のメンバーを、大原担当、祇園祭担当、役行者山担当と3つのグループに分 けて、企画を進めていくということで、それぞれのリーダーから経過報告等の発表がありました。 大原グループは、学区の催事で提供するシソ、ジャガイモ栽培の他に、大原郊外学舎に藤棚を作る計画の 進捗状況、さらには南先生より、渡り蝶であるアサギマダラが大原でも見られることから、学舎の敷地の 一部に、この蝶が好むフジバカマを植えて、蝶の飛翔が学舎でも観られるようにする計画についての提案も ありました。更には、大原の農産物をマンガミュージアムで産直販売してもらう計画(マルシェ)について も、大原学区の責任者と話し合って頂いたようで、具体化に向けて話を進めることになりました。 祇園祭の催事については、まだ実現に向けての計画段階で、役行者山の手伝いについては、準備段階として、 懸装品の修復の見学などを行っているということでした。それぞれの企画の具体化、統合に向けて、委員会 でもバックアップをして行きたいと考えています。

2025年4月4日金曜日

「鷲田清一折々のことば」3279を読んで

2024年11月30日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3279では 俳優沢村貞子の随筆集『わたしの台所』から、沢村の母の次の言葉が取り上げられています。    「あんまりこぎたない格好をしている    と、はたの人に気の毒だからね」 この言葉は、身だしなみという行為が、自分をやつして見栄え良く見せるというためではなく、 他人に不快と思わせないためになされるべきものであるということを、語っています。 確かに私の周囲でも、以前には庶民の間に、このような感覚があったと思います。だからいた ずらに、お洒落な服を着て、着飾るのではなく、体を清潔に保って、高価では無くても、手入 れの行き届いた服装を心がけるというような・・・。 ただし昔は、職業や生活レベルによって、ある程度服装の規範が定まっていたようなところが あって、この階層の人はこれくらいの素材で、そのような縫製の衣服を着用する、という慣習 があったように思い出されます。 だからある意味現代のように、必ずしも服装でその人の職業や、生活水準が判断出来ないという ことも、社会生活における公正さという点では、好ましいのかも知れません。 しかし私は、例え日常的な装いであっても、周りの人を不快にさせない心配りというものは、 必要であると考えます。自分の都合だけではなく、周囲の人々との調和も考える。これは、公共 性を有することにもつながるのではないでしょうか。