2021年3月11日付け朝日新聞朝刊、「古田徹也の言葉を生きる」では、「伝統も変化も踏まえ
つつ」と題して、哲学者古田徹也が、時代の変化に即して、慣用的な日本語の言葉の使用法
を吟味することの必要性について、語っています。
例えば、具体的な例として、「未亡人」という言葉は、元々「(夫とともに死ぬべきなのに)
未だ死なずにいる人」という意味合いがあるので、現在では、この言葉の使用を控える傾向
が強まっている、ということです。
私は、この言葉が従来、隠微なニュアンスを持って、大衆小説や映画の題名に使われていて、
何か謎めいた雰囲気を有するとは感じていましたが、この文章でその元来の意味を知って、
なるほどなあ、と感心させられました。
しかし、この言葉は極端な例として、指摘のように、「女々しい」「男気」「雌雄を決する」
「雌伏」「雄大」「処女作」などの言葉は、全般に使用を慎むべきかは、日本語の豊かな
表現性を制限してしまうという意味でも、まだまだ検討を要するところでしょう。
つまり、一概にその言葉の含む字ずらやニュアンスを持って、厳密に使用を制限することは、
その言語の豊かな表現力をそぐことにもつながりかねませんが、ただ私たちは、それら微妙
な立ち位置にある言葉を使用する時には、十分に自覚的であるべきではないか。
この文章を読んで、そのように感じました。
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