2021年2月23日火曜日
鷲田清一「折々のことば」2068を読んで
2021年1月30日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」2068では
絵本画家・甲斐信枝の『あしなが蜂と暮らした夏』から、次のことばが取り上げられてい
ます。
蜂は最初の六角形の一辺の長さを決める時、
自分の触角を物指しにするのです
筆者は、郊外の山麓の納屋で見つけた、蜂の巣作りと子育てを毎日まぢかで観察して、蜂
と人の間に「生きもの同士の親愛」を感じたといいます。掌(てのひら)や両腕の端から
端の幅、そして歩幅と、人もまたそれらを頼りに、みずからが棲む世界を計り、整えてき
た、と。
確かに、自分の中にこの世界を計る尺度を持ち、自身の位置を定め、生き方を方向づける
ことは、必要なことに違いありません。
例えば、私の白生地屋という仕事の基本には、生地の種類を見分けることと共に、生地の
長さや生地幅を計るということがあります。後者の感覚を身に付けるために、鯨尺2尺
(約76cm)の物指しで繰り返し生地の長さを計り、体に覚え込ませて行きます。
そうすることによって、生地という専門分野の世界に自らを溶け込ませることが出来、
その品物を扱う専門家としての自負も生まれて来る、と思うのです。
同様にこの世に生きる者としての私たちも、暮らしの中の色々な場面で、関わり合うもの
の大きさや感触を実感として身に付けることによって、生活を成り立たせているのでは
ないでしょうか?
ところが昨今のIT技術によって得る画像や情報には、この実感や身体感覚が欠落していて、
何かうわべだけの情報に振り回されているように感じられることがあります。これも時代
の流れかもしれませんが、我々はやはり、これからも実際に触れることによって得る実感
を大切にすべきだと、思います。
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