2025年7月25日金曜日
「鷲田清一折々のことば」3368を読んで
2025年3月27日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3368では
英国の作家G・K・チェスタトンの『正統とは何か』から、次の言葉が取り上げられています。
自己を信じて疑わぬというのは罪である
ばかりか、それは一つの弱さなのだ。
ここでは作家は、「国家もその正気を保つには、異変を察知するアンテナ、いいかえると己の
傲慢に反逆し、それを是正してゆく装置を内蔵していなければならない」ということが言い
たかったと思われますが、ー異常を見破るのは尋常な人で、異常な人は異常を異常と思わない。
ーつまり、「徹底して現世的な人々には、現世そのものを理解することさえできぬ」という
部分に、惹かれるものを感じました。
すなわち、現世的な人々は、異常に気づけないということです。これを私なりに読み解くと、
現世的ということは、想像力に欠けるということでしょうか?現世における、栄達、保身、
欲望にきゅうきゅうとしていては、とても明晰な目で現世を眺めることが出来ないということ
でしょう。
そのように理解すると、この言葉はとても教訓に満ちたことばであると思います。現に私たち
は、益々膨大な情報や時間に追い立てられて、冷静に社会状況や、自分の置かれた立場を、
客観的に見る目を失っていると感じられるからです。
ではどうすれば良いのか?これは難しいのですが、ある程度には確固とした自己を保ちながら、
しかし一つの価値観に固執せず、柔軟に物事に対処したり、場合によっては自分をも疑う余裕
を持ち続けることが必要だと思われます。
言うは易く行うは難し。でも、そのように有りたいとは、思い続けることは大切だと考えます。
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