2025年7月30日水曜日

麻田雅文著「日ソ戦争」を読んで

第二次世界大戦の中の日本の関わった戦争を語る時に、歴史記述を含めて、日ソ戦争に触れる部分は、従来 極めて少なかったと思われます。それは両国の戦闘が、戦争終結の年1945年8月8日以降と極端に短期間で あり、また戦後東西冷戦が始まり、米国を中心とした西側に与した日本が、東側の中心ソ連と敵対する立場 になり、同国との外交関係が極めて希薄に推移したことが大きいのでしょう。 しかし実は、この日ソ戦は、戦後我が国のみまらず、東アジアの国際秩序に多大な影響を及ぼし、また、 ソ連の後身のロシアが北朝鮮と結託して、ウクライナへの侵略戦争を行っている現在、私たちにとっても 日ソ戦の詳細と推移を知ることは、極めて重要であると思われます。そこで開いた本書ですが、読了して私 自身、示唆されるところがかなり多いと感じられました。 まず日本の敗戦で戦争が終結する間際に、ソ連が日ソ中立条約を破棄して一方的に宣戦布告したことについ ては、戦争終結を急ぐ米国が、ソ連に強く参戦を働きかけ、実際にソ連参戦後も武器、物資を手厚く援助 したことを知りました。その点では、我々がかの国に抱いていた卑劣のイメージは、やや和らげられるかも しれませんが、開戦後は、ソ連兵による日本の傀儡国家満州国の日本人移民や、朝鮮半島、千島列島、樺太 在住の民間日本人への虐殺、暴行、強姦、強盗が横行し、日本人捕虜のシベリアへの強制連行も行われまし た。また日本が無条件降伏を宣言後も、自国領土を拡張するために侵攻を止めなかったという事実は、今日 のウクライナ戦争を想起させます。 日本軍の大陸侵略の是非はここでは置くとして、軍中枢の大本営が最後まで、ソ連による米国との仲裁の働 き掛けに望みを繋いだ見通しの悪さ、大陸駐留の関東軍が、ソ連参戦の時期を見誤った楽観主義、更には 現地在住の民間人を守れなかったことは、当時の日本軍の欠点を如実に表わしています。 またソ連が進出することによって、中国国内で共産党政府が勢力を伸ばし、中華民国政府が結果的に台湾に 追いやられることになったこと、米国、ソ連の取り決めで、朝鮮半島でのソ連軍の進行地点が38度線までと されたために、戦後南北の分断国家が生まれたこと、ソ連に不法占拠された日本の北方領土がなぜ存在する かということを、本書で改めて知ることが出来ました。

2025年7月25日金曜日

「鷲田清一折々のことば」3368を読んで

2025年3月27日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3368では 英国の作家G・K・チェスタトンの『正統とは何か』から、次の言葉が取り上げられています。    自己を信じて疑わぬというのは罪である    ばかりか、それは一つの弱さなのだ。 ここでは作家は、「国家もその正気を保つには、異変を察知するアンテナ、いいかえると己の 傲慢に反逆し、それを是正してゆく装置を内蔵していなければならない」ということが言い たかったと思われますが、ー異常を見破るのは尋常な人で、異常な人は異常を異常と思わない。 ーつまり、「徹底して現世的な人々には、現世そのものを理解することさえできぬ」という 部分に、惹かれるものを感じました。 すなわち、現世的な人々は、異常に気づけないということです。これを私なりに読み解くと、 現世的ということは、想像力に欠けるということでしょうか?現世における、栄達、保身、 欲望にきゅうきゅうとしていては、とても明晰な目で現世を眺めることが出来ないということ でしょう。 そのように理解すると、この言葉はとても教訓に満ちたことばであると思います。現に私たち は、益々膨大な情報や時間に追い立てられて、冷静に社会状況や、自分の置かれた立場を、 客観的に見る目を失っていると感じられるからです。 ではどうすれば良いのか?これは難しいのですが、ある程度には確固とした自己を保ちながら、 しかし一つの価値観に固執せず、柔軟に物事に対処したり、場合によっては自分をも疑う余裕 を持ち続けることが必要だと思われます。 言うは易く行うは難し。でも、そのように有りたいとは、思い続けることは大切だと考えます。

2025年7月17日木曜日

ハン・ガン著「少年が来る」を読んで

2024年の韓国初のノーベル文学賞受賞女性作家による、光州事件を描いた小説で、折しもこの国で現職 大統領による、過去の亡霊のような戒厳令が宣言された事件も相まって、緊張感を持って読み終えまし た。 それにしても、私たち日本人が本書を読むと、複雑な感情が湧き起こってきます。というのは、光州事件 は言うまでもなく、当時の韓国の軍事独裁政権によって、民主的思想の住民の弾圧、殺戮が行われた事件 で、第二次世界大戦の終結前まで、この国を植民地化していた我が国が、この事件の遠因を担っていた ことは、間違いないからです。 この民族が朝鮮戦争によって南北に分断され、以降休戦状態が続くという異様な政治状況の中で、北朝鮮 は共産主義独裁政権に支配され、南朝鮮は当時大韓民国として、軍事独裁政権に統治されていたのです。 そのような政治的緊張の中で、北朝鮮の影響力を恐れた韓国の軍事政権の蛮行は、起こるべくして起こっ たのかも知れません。従って私たちは、光州事件を決してよそ事として、冷めた目で眺めることは出来な いのです。しかしそれにも関わらず、私はこの事件について、余りにも何も知りませんでした。 そのような状態で本書を読んで、この本では犠牲者への鎮魂の想いを主眼として事件が描かれていますが、 その残酷さ、命を落とした人のみならず、虐待の爪痕を残され、以後の人生を狂わせられた人々、肉親を 事件で失い、深い喪失感と共に余生を生きなければならなかった人々の様子が、くっきりと浮かび上がり、 この事件のおぞましさが強く脳裏に焼き付けられます。だからこそ本書は、私たちが読むべき作品です。 それにしても今回の韓国の戒厳令宣告は、当時と比較して、この国の民主主義が根付き始めているから こそ、大惨事に至らなかったのであり、反面、共産主義独裁が続く北朝鮮の核兵器開発、ウクライナへの 派兵は、南北分断の緊張感と、一触即発の危うさを如実に示しています。 我が国の戦前の軍事政策が今なお影を落とす、隣国の複雑な関係を、私たちは看過することは出来ません し、歴史文化をより深く知ることも必要であると、改めて感じました。

2025年7月9日水曜日

2025年7月度「龍池町つくり委員会」開催

7月8日に、「町つくり委員会」が開催されました。 今回はまず、委員長の私から、8月30日に実施される「龍池夏祭り」に、町つくり委員会町からの要請に より、鷹山囃子方に出演して頂くことを報告しました。内容は、お囃子実演と体験コーナーその後再び 実演というメニューで約40分間行われる予定です。 「夏祭り」全体のスケジュールとしては、5:30~40連合会長の挨拶、5:40~6:00御池中学のコーラス、 6:00~6:30歌声サロンのコーラス、6:30~7:10鷹山お囃子、7:10~7:50医健のバンド演奏、7:50 ~8:30マンガミュージアム紙芝居の予定です。 鷹山出演に合わせて、寺井委員が作成してくだっさた告知チラシの見本も、この日の委員会で配布して、 出席者に目を通してもらいました。 京都外国語大学南先生のグループからは、この日は南先生は欠席でしたが、メンバー代表者から、学区内 の町歩きを実施したという報告がありました。この報告によると、前回の町歩きはコロナ渦発生以前で、 かなり時間がたっていることもあり、マンションの増加、町家の減少など、町の様相が随分変化している ということでした。 マンガミュージアム事務局からは、7月12日から11月25日まで開催される「マンガと戦争展2」と、8月 23日に開催される「おとな妖怪教室 ドロドロ、デンデデン」の案内がありました。

2025年7月3日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3344を読んで

2025年2月20日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3344では 歌人川野里子の納富信留との対話「哲学と詩歌の怪しい関係?」(川野の対話集『短歌って何?と訊いて みた』所収)から、次の言葉が取り上げられています。    共感のやり取りでは批評という言論が育    たないし、磨かれていかないですね。 つまり、今の人は他人に寄り添うようなコミュニケーションのあり方になじんでいて、下手に批判したら 相手を傷つけるんじゃないかと、過敏になっている。それでは、互いを磨き合うような言論は生まれない、 ということのようです。 これは正に正論です。あまつさえ日本人は他人に気兼ね、忖度をして、本音で相手と渡り合わず、それが 言葉のやり取りの場でも、なあなあの関係を生み出す要因になって来ました。 その上最近は、SNSの影響もあって、更に自身が批判されたり、やり玉に挙げられることを恐れて、真っ向 から本音で語り合うことが回避され勝ちであるように感じられます。 でも上述のように、そのような微温的な言葉のやり取りからは、建設的な言論活動は生まれないでしょう。 では何が肝心か?それはまず、相手との信頼関係を築くことが第一であるに違いありません。 お互いがどんな迫真的な本音の議論を戦わせても、その言辞が相手を傷つける為の物ではないという、相互 の信頼関係があるなら、心置きなく論戦を戦わすことが出来るでしょう。 そういう相手を信じる心が失われていることこそ、真の課題であるように思われます。