2025年5月29日木曜日
「マルテの手記」を読んで
高名な詩人による、手記と呼ぶには断片的で、とりとめの無いような作品です。
訳者前書きにも記されているように、リルケの分身でもあるような人物マルテの、幼時の回想や文化の
中心パリへ単身出てきて感じたこと、他方歴史的人物の最後について、あるいは、物、人、神、愛など
についての哲学的思考など、脈絡のない書き付けのような断章が並んでいます。
前書きのアドバイスもあったので、全体を統一した物語と捉える考え方からは離れて、それぞれの断章
を、主人公の時々の思考に寄り添う気持ちで読むように努めました。
そのように読み進める課程で、私の一番印象に残ったのは、マルテの幼時から思春期にかけての回想的
部分です。作中のマルテは、デンマーク王室の侍従長を祖父に持つ貴族の家系に生まれ、成長するまで
は貴族的な生活を送りますが、既に彼の家系の没落は進行していて、彼自身の生活にも影を落として
います。
そのような状況における在りし日の優雅な生活の回想や、親族、縁の人々の立ち居振る舞い、とりわけ
祖父の威厳ある態度は、かつての華やかな貴族文化を想起させます。
またマルテが幼い頃に亡くなった美しい母への複雑な想いも含む追慕、そして恐らく、母の面影を宿し
ていた故に、マルテの幼い恋の対象となったであろう、母の一番下の妹アベローネへの思慕。因みに
彼女は、マルテの詩心のミューズであったと推察されます。
これに関連して少し話はそれますが、彼がアベローネにパリのクリュニー美術館の有名な「貴婦人と
一角獣」のタピストリーの美について語りかける断章では、私自身が藤田嗣治の生涯を描いたある映画
で、パリに着いて同美術館に赴いた藤田の目を通すという形で、この美しいタピストリーを詳細に観て
いたので、リルケの詩的な描写がその時の感慨とシンクロして、ヨーロッパ美術の美の精華を追体験
する思いがしました。
本作の後に添えられている、精神科医である斉藤環による病理学的視点に立った解説では、リルケは
「強迫性障害」や「統合失調症」的な資質を有していたと言います。特に、マルテと同様に経済的展望
なしに単身パリに滞在した時には、精神的危機を抱えていた可能性があると言います。
この「マルテの手記」は、その克服のために描かれた作品であり、詩人リルケが大成するために、不可
欠の作品だったのでしょう。
2025年5月21日水曜日
高田里恵子著「文学部をめぐる病い」を読んで
戦前から戦後にかけての東大文学部独文科出身のドイツ文学者の振る舞い、業績を通して、文学部という特殊な
世界を明らかにすると共に、彼らが日本の思想、文学界に与えた影響を振り返る書です。
私自身にとっては、文学部は縁遠い世界ですが、彼らが日本のドイツ文学受容の橋渡しをしたという意味では、
全く恩恵を受けていない訳ではありません。
事実私は、中学生時代に教師に勧められてヘッセの「車輪の下」を読んで感銘を受け、以降トーマス・マンへと
読み継いで、自分の人格形成期に少なからぬ感化を受けました。また最近はカフカを読んで、混迷の時代の心の
持ち方を示す文学であると感じています。
さて、そのような彼らの功績はさておいて、本書が主に取り上げるのは、明治以降の文明開化、いわゆる脱亜
入欧、富国強兵、殖産興業の政治方針に組み入れられた、官立大学に占める文学部の意味と、それ故そこに帰属
する彼らの懊悩です。
つまり彼らは、その分野の最高権威として、ドイツ語、ドイツ文化を日本に紹介する任を担っていましたが、
それが必ずしも、目に見える形で国家の近代化や文化的向上につながる役割を果たした訳ではない、ということ
です。すなわち、文学が実利的ではなく、教養主義的な性質もあって、彼らは学部内でいかに優秀な成績を修め
て卒業しても、教師としてのドイツ文学紹介者にしかなれなかったということです。
本書の前半では、そのようなドイツ文学者の好例として、高橋健二が取り上げられていますが、彼は戦前から
ヘッセの翻訳者として知られ、ドイツでナチス台頭後はナチスを賞賛する作家の日本への紹介を行い、戦後は
ナチスに批判的であったヘッセを、改めて評価する活動を行ったといいます。
また、戦中は大政翼賛会文化部長として、思想統制の一翼を担いながら、戦後には自らのその行動を、抑圧的な
体制の内部に入り込んで、良心的な抵抗活動を行っていたと、弁明したといいます。この日和見的な行動は、
現代的見地に立てば不誠実であると感じられますが、彼が時の国情に適う文化の紹介者としての務めを果たして
いたようにも思われます。そこには、急激な近代化を遂げたこの国の、様々な矛盾が関わっているように感じら
れます。
2025年5月14日水曜日
2025年5月度「龍池町つくり委員会」
5月13日に「町つくり委員会」が開催されました。
まず先日、御池之町のマンション建設計画について、マンション建設業者による地元説明会がマンガ
ミュージアム自治連会議室で開催された時、私は町つくり委員会を代表して出席しましたが、その時
に御池之町側の代表の一人として参加していた町つくり委員でもある寺井委員が、業者に対して町内
との協約書の締結が前提であるという趣旨の話をされていたので、私自身自分の町内にまだマンショ
ンは建設されていないので、これからの他町でのマンション建設時の参考にするためにも、協約書の
意味について質問しました。
その答えによると、マンション建設時には、京都市からも業者に対して協約書の締結が求められて
いるようで、建設工事において地元に迷惑を掛けず、安全に留意することや、マンション住民が町費
を納めて、一定程度町内会活動に関与することを奨励するなどの規定が盛り込まれているそうです。
私は浅学にしてそのような規定の存在を知らなかったので、ある町内に初めてマンションが建設され
る時にこの規定を活用することの必要性を認識すると共に、これからマンション住民も含めた町つく
り活動の企画を推進していく上で、参考にすべきこであると感じました。
当学区の町つくり活動に協力して頂いている、京都外国語大学南先生のグループの活動報告としては、
まず5月21日に大原学舎で御所南小学校児童による田植えが行われるということで、南先生の他5名が
手伝いをして頂くということです。
また祇園祭関連では、学区で開催を予定する「祇園祭町つくり講座」の準備のために、南先生が学区
内の山である鈴鹿山の山鉾関係者と面談して頂いたようで、山の運営が伝統工芸館と町内の地主の方
2人、企業2社によって行われているということで、上記講座への参加は理事会に諮らねばならないが、
前向きに検討するということでした。
もう一つの山である役行者山では、「南町つくりゼミ」という形で、すでに祇園祭にちなむ手伝いを
して頂いていて、これから進める活動としては、山の懸送品とうの展示空間の環境検査、展示内容の
監修、そして将来的には展示品のガイドなども行えるようになればということでした。こちらも、
上記講座の開催には協力して頂けるということです。
さて具体的な当委員会の催しとして、6月半ば以降、7月初旬までの土曜、日曜に、マンガミュージア
ムの自治連会議室で、鷹山囃子方による龍池学区の子供たちを対象としたお囃子体験会を実施出来な
いかという提案があり、可能かどうかを、町つくり委員で鷹山関係者でもある森委員に、早速問い合
わせることになりました。
2025年5月7日水曜日
「鷲田清一折々のことば」3327を読んで
2025年1月27日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3327では
日本文学研究者ロバート・キャンベルの随想「幸せは輪のように、巡りくるもの」(JAF Mate編『幸せっ
て何だろう』所収)から、次の言葉が取り上げられています。
高いところから甘い固形物がズドンと落
ちるというより、幸せがぽたぽた「零れ
る」方が幸せの実感に近いのではないか。
人生を長く生きていると、確かに思いがけぬ幸運や、瞬間的な幸福の絶頂というような経験もあります。
でもそれらは、後から振り返るとはかない一夜の夢のように回想されて、なかなか実感を伴って、思い
返すことの出来ないことのように思われます。
それに対して、じんわりとわいてくる幸せ、何かをやりながらしみじみと感じられる幸福感、ことの後
に気づかされる満ち足りた気分などの方が、実感を伴う幸せのように感じます。
正に上記のことばが示してくれるように、このような幸福を味わう為に、地味でも堅実な努力を積み重ね
て、日常の些事の中に喜びを見出しながら生きて行くのが、私には理想的な生き方であるように思われ
ます。
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