2018年4月2日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1062 を読んで

2018年3月27日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1062では
国文学者・中西進との対談「天災と人災」から、歴史学者・磯田道史の次のことばが
取り上げられています。

 「無い」という状態を知っているからこそ、「有る」ことがありがたい。

私たちはそれが随分幸せなことでも、その状態に慣れきってしまうと、往々にその
有難味が分からなくなるものです。

分かりやすい例では、自分が健康であることが当たり前になってしまうと、病気に
なったり、けがをしたりして、身体に変調をきたし、苦しかったり、痛みがある時の
状態が想像も出来なくなります。

このような場合には、ついつい自身の体調管理がおろそかになって過労に陥ったり、
あるいは他者の健康上の弱みが理解出来なくて、相手に対して知らず知らずの内に、
思いやりのない振舞いをすることになったりします。

やはり、健康では「無い」状態に思いを馳せることが出来るということが、自分自身や
周囲の人に対しても、健康で「有る」ことの有難さを理解して、それに適う行動や態度
を示すことにつながると、思います。

同様に社会が平和で、天災にも遇わないということが当たり前になってしまうと、身が
危険にさらされないことが普通になってしまって、ついつい平和を守ることの大切さや、
災害に備えることの必要性が顧みられなくなります。

私たちは常に平和で「有る」ことの有難さ、災害に遭遇しない状態で「有る」ことの幸い
さを、噛みしめるべきなのでしょう。

それは日々を無事に過ごしていることの有難味を実感することにもつながると、上記
のことばを読んで感じました。

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