2020年12月4日金曜日
鷲田清一「折々のことば」1996を読んで
2020年11月1日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1996では
長編小説『逃亡者』から、作家中村文則の次のことばが取り上げられています。
人の人生には、それぞれのテーマがあるので
はないか
そう、何となく生きているよりも、テーマを持って生きることが出来れば、人生
はずっと充実すると感じられます。
例えば私事ですが、私は大学卒業後ある程度の目的と希望を持って企業に就職し、
しかししばらくすると、その情熱も冷めて、実家が自営業を営んでいたことから、
その方が楽であるとか、金銭的にゆとりがあるという安易な理由で、親の後を
継ぐことにしました。
そして以降は、目の前の仕事や家庭を維持することに追われて、あまり自分が
この職業に従事する意味を、考えて来ませんでした。
しかし、ある時期から和装離れが進み、私たちが扱う商品が一定量売れるのが
当たり前という時代が終わりを迎え、例え少しの商品でも販売するためには、
かつてないほどの労力が必要になって、また逆に、ものを考える時間は十分に
取れるので、ふと、自分はどういう目的でこの商売を続けているのだろうと考え
た時、非力でも和装という文化を守る一助となれれば、というテーマが浮かんで
来ました。
このように目的が想定されると、例え状況は厳しくても、出来る限り続けて行こう
という、新たな目標も生まれました。
以上のことから、生きるためのテーマを持つということは、生きる張り合いを生み
出すことでもあると、考える今日この頃です。
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