2016年1月10日日曜日

鷲田清一「折々のことば」272を読んで

2016年1月6日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」272に
司馬遷の「史記」から引いた、次のことばが取り上げられています。
 
 桃李不言下自成蹊

「桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す」ということで、徳のある人の
下には自ずから人が集まるという意味だそうですが、私は以下のような
ことを考えました。

つまり最近は情報化社会ということで、自分の実力や商品の価値以上に
何にしても言葉巧みに宣伝して、世間や顧客に認められようとする傾向が
強いように感じられることが多々あります。

確かにこのような時代には、自ら情報を発信して、広くその情報を求める
人々に認知してもらうことも大切でしょう。でもそれが度を越すと、何か
不信を抱いてしまうこともあるように思うのです。

本来は自身の人間性を磨き、あるいは製品の品質やサビースを充実
させた後に、控えめな情報を発信して、人が評価して集まってくれるに
任せる。そうあるべきなのではないでしょうか?

余りにも理想論、古臭い説教調かも知れませんが、私は上記のことばを
読んで密かに、そんな思いを強くしました。

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