中村文則の作品を読むのはこれが最初ですが、まず現代の私たちの
社会において、宗教を主題に小説を書くことの難しさを改めて感じました。
というのは、このような重い主題を正面に据えながら、エンターテイメントの
肌触りを有する小説を読むのは、初めての経験だからです。
それゆえに、深遠で多義の解釈を内包するテーマを、駆け足で通り抜ける
ような消化不良の読後感に少し戸惑いましたが、本書に散りばめられた
人が宗教に求める諸要素をもう一度反芻することによって、本作が語り
掛ける宗教の意味を考えてみたいと思います。
本書に登場する現代の広い意味での宗教指導者の一人松尾は、その
講話の中で最新の分子生物学の概念に触れます。つまり、地球上に
存在するあらゆる物質は分子の結合体であり、生物も決して例外では
ないのです。
生命活動とは、分子の結合体である細胞が新陳代謝によって絶え間なく
入れ代わり、つまり動の中の静として維持されているものです。そして
生物は死を迎えると、その体は構成体である分子に分解して、いずれ
新たな物質を形作ることになります。
このように、人間にとって長い間各個人の主観的な問題であった死に、
科学による客観的な事実が突きつけられた時、その死と密接に関わって
来た宗教は、どのように対処すればよいのか?本書の命題は、この一点に
尽きるように思われます。
本書の四人の宗教指導者の内、戦後の高度成長期を生きた鈴木は、悪を
引き受ける者を作ることによって善を広めるという思想に陥って自壊し、
アフリカの武装宗教組織「YG」のリーダーは、人を飢えさせないことを教義と
してメンバーを引き付けます。カルト教団を組織することになる沢渡は、
性的快楽によって信徒を支配しますが、虚無に耐えられず自滅します。
最後に、松尾自身の死後も受け継がれることになる、互いを思いやることに
よる緩やかな連帯を訴える彼の教えは、月並みなようですが、最早宗教的
狭量がなじまない現代社会に相応しいのかもしれません。
無論、命題の根本的な解決が見出される訳ではありませんが、難しい
問題に取り組んだ著者の意欲は、買いたいと思います。
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