2024年9月26日木曜日
「鷲田清一折々のことば」3041を読んで
2024年3月29日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3041では
服飾ブランドmatohuの動画《手のひらの旅》から、能登半島の輪島塗塗師・赤木明登の次の言葉が取り
上げられています。
本当に必要なものは、この自然の奥行
き、もしくは完璧さの中にちゃんと用意
されている、ということを信じている。
能登半島地震で激甚な被害に見舞われても、この塗師は自然に寄り添う工藝の力を信じて、自らを鼓舞
しようとしているようです。
輪島塗が自然の力を借りて、形成、発展してきたように、自然は本来豊かで、たおやかで、そして時に
猛威を振るうものであったならば、それらを全て受け入れて、そこから再生し、発展しなければならない
ということでしょうか?
ことに現代は、利便性、効率性が優先されて、工藝のような手作りの品物の価値が、顧みられなくなって
います。だからこのような逆境の時代に、根こそぎ痛めつけられた、輪島塗を復興することは、並大抵で
はないでしょう。
それでも尚かつ、この伝統工藝品を再び盛り上げるには、現代に通用する新しい価値を創造しなければ
ならないはずです。そのヒントが、その品を購入して、使ってみようという人に、自然本来の価値を再
発見させるようなものとして動機付けられるなら、それは素晴らしいことだと思います。
それにしても再び、能登半島を襲った豪雨、工藝に携わる人々の熱い気持ちが持続することを、切に願い
ます。
2024年9月19日木曜日
古井由吉著「楽天記」を読んで
老境を迎えつつある思索的な作家の日々を綴る、現実と内面世界のあわいを描くように思われる、長編小説
です。
まず私の心に残ったのは、この作品に流れるゆったりとした時間です。本書が書かれたのが30年以上前なので、
現在と単純に比較は出来ませんが、もう作家自身が死去しているとは言え、もし彼が現在存命だったとしても、
彼の内面にはやはりこのような時間が流れているだろうと推察させる、そのような普遍的なリアリティがあり
ます。
そして本書執筆当時の作者より10歳以上年老いている今の私にとっても、このようにゆったりとした老境で
生死を見つめることは、一つの適わぬ理想であると感じられました。
とはいえ私も老境にさしかかり、作者の綴る心境には、共感できるところも多くありました。まず、旧友の父
の晩年の様子について。伴侶を先に失い、絶望の余り一時俗界との交渉を断つ有様などには、私の人生の経験
の上からも、悲哀を伴ってうなずけるところがありました。
また大学教授であったこの旧友が、体調を崩し連絡が取れなくなった時に、彼の消息を尋ねようと主人公に
近づいた謎の女性。主人公は友人の妻とも親交があるために、この女性に対して慎重な対応をしますが、正に
私も友人の異性関係で微妙な立場に立たされたことが、懐かしく思い出されました。
そして、その友人が突如として亡くなった時には、私も自分の人生の中で失った親しい二人の友の面影が思い
浮かんび、それぞれの印象的な思い出、あるいは亡くなった時の経緯、感慨が蘇り、心なしかしんみりとした
想いに包まれました。
最後に主人公が脊椎狭窄症の手術で入院するくだり。手術前の緊張感や、術後麻酔が覚めた後の感覚が覚醒する
様子、徐々に傷が癒え、身体機能が復活する過程など、私の大腸がん手術の体験と通じるところがありました。
恐らく、ある程度の人生経験を積まなければ、本書のしみ出すような悲哀を帯びた滋味は、味わえないところが
あり、その点でも、本書購入後かなりの時を経て読んだことには、意味があると感じられました。
2024年9月11日水曜日
2024年9月度「龍池町つくり委員会」開催
9月10日に、9月度の「龍池町つくり委員会」が開催されました。
まず、京都外大グループとの大原学舎での催事計画についての報告は、南先生が現在海外出張中のため、
具体的な進展はありませんでしたが、順次これから計画を詰めていくということでした。
また、大原自治連からの龍池学区自治連との連帯を深めたいとの申し出について、過日南先生が現地で
大原自治連の副会長と話し合われた内容は、現地で大原と龍池が連携して催しを行い、その企画段階に
京都外大グループが関わるという形で進めるというもので、その是非が当委員会で本日審議され、
各委員からも賛成が表明されました。
問題は、当学区からかなりの距離があり、交通の便も良くない、京都の郊外にある大原地区まで、どの
ようにして催しの参加者を連れて行くかということで、参加者各自が公共交通機関で参加するのみなら
ず、25名ぐらいが定員の京都バスをチャーターすることも検討され、コロナ禍も一段落しているので、
企画の魅力と勧誘の方法によっては、それぐらいの人数を集めることも可能かということで、引き続き
京都外大グループに、魅力的な企画を立案して頂くよう努力して頂くことになりました。
鷹山の日和神楽の龍池学区への誘致については、最初に鷹山保存会から打診があった時には、学区内の
一部から異論が上がったために、辞退した経緯もあり、新たにどのような形で保存会の方にアプローチ
していくかということを、当学区在住の鷹山の関係者とも綿密に協議して、今回は実現するように、
慎重に計画を進めていくことになりました。
2024年9月5日木曜日
「鷲田清一折々のことば」3034を読んで
2024年3月22日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3034では
未来の人類研究センター編『テクノロジーに利他はあるのか?』から、美学者・伊藤亜紗の次の言葉が
取り上げられています。
漏れてしまうものがあるということが、
社会性を生み出すと思うんです。
何事もきっちりと型にはめ込んだり、こうでなければならないと規定してしまうと、その中では瑕疵
なく、無難にことが運んでも、そこから派生して生み出されるものは得られない。
人間の社会活動も、決して無機的なものではなく、生物の一種による有機的な活動であるのだから、
そこからあふれだし、漏れ出るものが必要なのでしょう。
ところが現代の社会では、出来るだけ無難に、当たり障り無く物事を行うことが求められているように
感じられます。
なるほどそうすれば、一見問題なく、スムーズにことが運営されるように見えるけれど、それでは
意外性もなく、発展性もなく、面白味もないように思われます。
私も出来れば、もっと人間くさく、土臭く、ぬくもりのある人との関係を築いていけたらと、思います。
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