2023年7月26日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一 折々のことば」2802では
日本中世史家・網野善彦の『歴史を考えるヒント」から、次の言葉が取り上げられています。
「自由」は……元来は専恣横暴な振る舞
いをするという語義で、専らマイナスの
価値を示す言葉だった。
なるほど、このように考えると、腑に落ちるところがあります。「自由」は元々、勝手気ままな様を
意味し、何にも囚われないというプラスの意味に近いのは、幾重もの世俗の関係をすべて断ち切った
という意味での、「無縁」だったと。
現在は「自由」に大変高い価値を見いだしていると思います。「自由」は、何より尊重されなければ
ならないというように。
でもこの個人の「自由」を絶対的な前提に置くことによって、責任や義務そして秩序がおろそかに
されて、社会が乱れ、不安定になっている部分が確かにあると思います。
もちろん個人の尊厳が、社会的に抑圧されることは好ましくないでしょう。でも「自由」を主張する
個人も、社会的な責任や義務を自覚した上で、それを求めることが必要でしょう。
そのためには、社会は個人の「自由」を絶対的な価値として尊重し、逆に個人は公共の福祉や利益を
重んじるということが必要だと感じます。
それにしても、「無縁」が本来の何ものにも囚われない自由な境地を表すなんて、ちょっと驚かされ
ました。そこからゆくと、「無縁」仏も悪いものではないのかもしれませんね。
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