2021年5月13日付け朝日新聞朝刊「古田徹也の言葉と生きる」では、「土地の名を病に使う
なら」と題して、筆者の出身地水俣の地名が「水俣病」という公害病の語源になっている
ことから、出身者の複雑な思いを語っています。
確かに我々は、「水俣病」は言うに及ばず、「川崎病」「チェルノブイリ原発事故」など、
病気、事故が発生した場所を冠した名称をしばしば用いて来ましたが、私自身それらの
言葉を使いながら、そう呼称されていることによる現地の人の心の痛みには、全く思い
至りませんでした。その意味で、はっとさせられました。
この事例は、私たちが他者の心の痛みに鈍感であることの、典型であると思います。人は
立場が違うと往々に、相手の心の傷に対する想像力が働かないものです。そういう点でも、
こういうことに気づかされたことは、有益であると感じました。
しかし筆者も語っている通りに、その呼称が、それぞれの病気、事故などがどのようにし
て発生し、如何に認識され来たかの経緯を、社会の歴史の中に跡付けるものであり、その
名称を用いることなくして、検証も教訓も得ることも行われて来なかったことから、今更
名称を変更することは考えられず、それを使用する我々も、その事実を重く受け止める
ことが大切であると、思われます。
その意味でも、それぞれの語源の地に敬意を払いながら、このような負の遺産を記憶し、
教訓として活かすことの重要性を、改めて感じました。
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