2025年4月23日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3386では
写真家島尾伸三の『魚は泳ぐ』から、次の言葉が取り上げられています。
狡さを訓練できない人は、すがるも
のを必要としていますね。
ここで言う狡さ(ずるさ)は、狡猾ということではなくて、処世術における器用さ、柔軟さ、
世慣れた対処法というニュアンスを含む言葉でしょう。
だから、真っ正直や、固定観念に囚われる頑固さなどは、これと対極の性向であると思われ
ます。
このような意味の狡さを備えた人は、何事にも臨機応変に取り組み、周りの人との間に軋轢
を生まずに、世を渡って行くことが出来るのでしょう。そして、そういう人が、独立心をも
持ち合わせていると言えるのでしょう。
しかし私は反面、このような処世術に長けた人は、現実にもそれほどに生きて行く上で器用
な人が少ない故に、孤独感にさいなまれることも多いのではないかと思います。
人は誰も一人では生きて行けなくて、多くの人の助けがあってこそ生きて行けると思うので、
狡さもそこそこに、少し間の抜けたところもあってこそ、人として愛される人間ではないか
と考えるのですが、いかがでしょう?