2017年1月18日水曜日

鷲田清一「折々のことば」638を読んで

2017年1月16日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」638では
筋ジストロフィーを患う岩崎航さんの「点滴ポール 生き抜くという旗印」から、
次のことばが取り上げられています。

 みんなを照らす太陽も/たまには休んで/月にもなりたいと/思う時もあるはずだと/
 分かる人で ありたい

重い症状を身に抱えながら懸命に生きる人の、やさしさを巡る考察とは、とても
比較出来るものではないけれど、私は前回のブログに綴った怒りの感情に対する
気持ちの裏返しとして、他者に対するやさしさということを、大切にして来ました。

自分に係わりがある周囲の人々に、出来るだけやさしく接したい。それがその場を
心地よくすることであり、ひいては私自身も心安らぐ方法であると、考えて来たの
です。

でも、そのような人への接し方に対して、私の心の中ではいくつかの疑念も生まれ
ました。つまり、一体他者へのやさしさとはどういうことか?やさしさを示したいと
考える人物の単なる偽善や自己満足ではないのか?あるいは押し付けや要らぬ
おせっかいではないのか?・・・などです。

しかし相手にやさしく接してもらうことは、私にとっても実際嬉しいことですし、
最近はこのように考えるようになりました。

つまり、やさしさとは相手に寄り添うことであり、そのためにはその人の語る事を
良く聞き、その人の立場に立って考え、行為することである。それは必ずしも相手に
気に入られるような言葉を掛けたり、おもねるような行動を取ることではない。

上記のことばを読んで、その想いを強くしました。

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