2021年1月8日金曜日
中沢新一著「野生の科学」を読んで
私は、中沢新一の著書を読むと、心が広く、融通無碍に開かれる気持ちがして、心地よく
感じます。しかし浅学にして、その理由はあまり分かりません。でも、これも読書の醍醐
味の一つだと思います。
今回の「野生の科学」の意味にしても、私はどこまで理解しているのか、大変心もとない
状況です。しかし幸いにして、最近読んだ2冊の本が、この言葉を理解するのにヒントを
与えてくれる気がします。1冊は、鶴見俊輔「限界芸術論」、もう1冊は、白井聡「武器と
しての「資本論」」です。
前記の書で鶴見は、限界芸術を非専門的芸術家によって作成され、同じく非専門家によって
享受される芸術と定義し、その一つである各地に残る手仕事を、民芸運動を介して推奨した、
柳宗悦の例を取り上げています。
一方本書「Ⅱ知のフォーブ」の第6章『民藝を初期化する』で中沢は、同じく柳の民芸運動
を取り上げ、柳が心酔した手仕事の核心、「無心」と「用」の再認識の必要性を説いていま
す。即ち、手仕事の民芸品が魅力的であるのは、作為なく無心で作られているからで、しか
も日用品としての機能性を有しているからである。これらの品の美質は、今日の資本主義的
大量生産品には見出せないものである、というのです。
他方、白井はその著書において、マルクス経済学の観点から、資本主義というシステムに
内在する、全てのものを商品化し、余剰価値(利潤)を追求することを至上の目的とする
性質が、今日の息苦しい社会環境を生み出している、と主張しています。
鶴見と白井の両書を参考にして、中沢が科学全般(経済学も含む)に「野生の科学」を取り
込むことの必要性を提唱している意味を、私なりに読み解いてみると、人間の肥大化した
客観的意識が生み出した、従来の科学の限界、矛盾が明らかになった今日、私たちは、本来
人間の内面に存する心の声(野生の思考)をも考慮に入れた、新しい科学を創造することの
必要性を迫られている、ということではないでしょうか?
最後に本書に付録として掲載されている文章『「自然史過程」について』の中で、吉本隆明
が生前最後のインタビューの中で、原発擁護論を語ったことへの、中沢の吉本への敬意を
失わない反論の中で、印象的な言葉を挙げておきたいと思います。
即ち、原子核技術は、生態圏的自然の秩序を逸脱したエネルギー現象であり、失敗したモダ
ン科学の象徴である。
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